Monday 21 November 2016

映画『湾生回家』はまだ観てないですがトークイベントに行ってきました。

先日、虎ノ門の台湾文化センターで映画『湾生回家』のトークイベントがあって、参加してきた。てっきり作品上映もされるもんだと思って前日の公開初日には映画館に行かなかったのだが、上映はなかったのでひどく後悔した。早とちりはよくない。

ジャーナリストの野島剛さんがコーディネーターを務め、映画の元となった書籍『灣生回家』を執筆するとともに多くの「湾生」たちを追いかけてきた田中実加さんと、映画にも登場する湾生のお二方が登壇し、貴重なお話を聞かせてくださった。

実は「湾生」という言葉を知る前から、私は台湾で生まれ育った日本人の歴史に関心を持っていたのだが、それには私の生まれ故郷である紀伊田辺と、いまお付き合いをしている恋人の存在が関係している。紀伊田辺の市街地からは少し離れた海岸寄りの田辺湾を臨む一帯に文里という名の地区があるが、そこには文里港と呼ばれる港がある。幼い頃の記憶では、船着場というよりも、おいやんら(田辺弁で「おじさんたち」の意)が釣りを楽しむ波止場という印象が強かったが、ここは古くから海の玄関口として利用されてきた場所でもあった。さらに文里港は、第二次世界大戦後に戦前の日本の植民地や、戦地からの引き揚げ者たちを乗せた船を迎え入れた港でもある。つまり、植民地であった台湾からの引き揚げ者の多くがこの文里港に辿り着き、ふるさとの土地として最初に足を踏み入れたのが紀伊田辺であったのだ。

この歴史を知ったのはつい二、三年前のことだ。私の恋人は広島出身で、地元には両親と祖父母がご健在だが、母方のおばあさんが実は台湾からの引き揚げ者だった。彼女もまた、田辺の文里港に降り立った引き揚げ者の一人だったのである。不思議な縁に心を震わせながらも、私は彼女の背後にいる数百万人の引き揚げ者たちの姿に想いを馳せた。彼ら、彼女らの目に映る田辺はどのようであったのだろう。どのような気持ちで、あの場所に降り立ったのだろう。そして田辺の人たちはどのように引き揚げ者たちを迎え入れたのだろう。仕事の忙しさを言い訳に深く調査することもなくうやむやにしていたのだが、今回トークイベントで湾生のお二人の話を聞くうちに、当時の田辺のことや、恋人のおばあさんのこと、あるいは家族史のようなものについて、ますます知りたいと思うようになった。

おばあさんは現在寝たきりで会話も難しいらしく、孫の恋人とはいえ見ず知らずの若造が病室までお邪魔するのは気がひける。とはいえ、歴史の生き証人から話を聞く機会は、今を逃せばもう二度とないかもしれない。ご両親に丁重にお願いしてみるのもありかもしれない。以前、恋人のお母さんづてで聞いた話では、おばあさんは生まれは日本で、幼少期に両親とともに台湾に渡ったそうだ。おばあさんの父親にあたる人が台湾鉄道の職員で、台中駅と周辺の駅に務めて何度か引っ越しをしたが、終戦時に住んでいたのは台中の緑川付近で、おばあさんは当時の台中第一高等女学校に在籍していた。妹さんは台湾生まれのまさに「湾生」である。妹さんが生まれた時、住んでいた場所の近くに「香山」という名の山があり、それにちなんで香さんと名付けられたそうだ。台中に住んでいた頃の家は立派だったそうで、玄関の門には大きなパパイヤの木が両側に一本ずつそびえていたとのこと。今回、トークイベントで話を聞いたお二人は台北や花蓮に住んでいたため、おばあさんのお話から想像するものとはまた違った植民地台湾での日本人の当時の暮らしぶりが浮かび上がるようで、非常に興味深かった。花蓮は開拓移民が多く、お金も住むところも何もない状態で、荒れ果てた土地をゼロから耕し、先住民との衝突も自分たちの力だけで解決しなければならなかった。様々な苦労を乗り越えて築き上げた暮らし、財産、人間関係をすべて手放して引き揚げなければならなかった、その悲しみは生半可なものではなかっただろうと想像する。

「湾生」の物語は、大きな歴史からはこぼれ落ち、世間から忘れ去られがちな小さな歴史の代表例だ。植民地主義の善悪に関する批判を超えて、語り継がねばならない歴史。また、今回のトークイベント内容のキーワードでもあった「ふるさと」という概念、湾生にとっての「ふるさと」はどこか?という問いについて、参加者たちの関心が高かったように思う。アイデンティティと結びつく問いだ。登壇していたお二人はこれまでの人生で何度も悩まれてきたことだろう。そんなデリケートでプライベートな問いをあのような公の場でたずねるというのは気がひけるものだが、お二人は堂々と話してくださった。話題性はあるかもしれないが、こういう質問が出るとなんだかナンセンスだなと思う自分もいる。一体、質問者はどんな答えを期待しているのだろうか。「それでもやっぱり私は日本人です」とか「台湾こそ故郷であり、心は台湾人です」とか?私は、小さな歴史、個人の歴史を語り継ぐことは大切だと思っているし、人の心に訴えかけるものがなければ語り継ぐことは難しいとも思う。だからこそ、こんな風にしてドキュメンタリー映画が制作されて、日本でも上映され、多くの人がそれを見て感動して台湾と日本の歴史や大きな歴史に翻弄されて生きてきた人々の存在に目を向ける、という流れができればそれはそれで素晴らしいことだとも思う。がしかし、そのルートのどこかに恣意的なエンタテイメント性があって、私は罪悪感のようなものを拭えずにいる。うまく言えないのだが、私たちはただただ物語だけを消費して感動や涙にして満足しているような。この話だけに言えることではないのだけど、ふとこんなことを考えた。
いずれにせよ、次に地元に帰るときにはゆっくりと資料館などを巡りたいと思う。

Saturday 1 October 2016

最近観た&そういえば観たな映画メモ

最近観た&そういえば観たな映画メモ


『超高速!参勤交代』
どの役者さんも個性があっていい。ドラマ「相棒」枠の時間帯の雰囲気がした。夜8時くらいからやってる時代劇の感じ。地方の弱小藩・湯長谷藩がたった5日で江戸に参勤せよと無茶振りされる。湯長谷は現在の福島県いわき市のあたり。台詞の一部には3.11の原発事故とそれによる放射能汚染の問題を連想させるものがある。「土とともに生きる」「土を守らねばならない」のような。藩主はその土で百姓が丹精込めて作った大根の漬物が大好物。幕府にもそれを献上するほど。

幕府老中の松平なんちゃらがいわゆる悪代官的な役回りで、とことん悪知恵を働かせて弱小藩の武士たちを困らせる。藩主・内藤なんちゃらは民に慕われ、常に民のことを第一に考える優れた人物。徳川吉宗に向かって、「上に立つものが愚かであれば民が苦しむ」的な言葉をバンっと言い放つところかっこいい。全体としてはもちろんコメディなんだけど、細かな台詞(上述)にちょいちょい引っかかるというか、気になってしまうところがあり、なんとも皮肉めいた感じがする。3.11後、事故の対処に右往左往した政府への批判ととらえることもできるかもしれない。できれば、どんなに汚染された土地だとしても我々はその土地に根付いてそこの土とそこで育つ作物とともに生きねばならんのだ、的なメッセージであってはほしくない。でもまあ、気軽に観る感じの映画だ。


『超高速!参勤交代リターンズ』
やっぱり猿の菊千代かわいい。深田恭子もかわいい。一作目もそうだったけどエンドロールで流れる曲だけはとってつけた感あって残念。二作目の方が立ち回りが多かった。湯長谷藩は結局幕府に利用されてるだけで、それでも何が何でも藩は守り通す、潰されてたまるか、と必死になる人たちを観ていたら、だんだん「そこまでして守る必要もないのでは」というような気持ちになってきてしまった。映画だし、ハッピーエンドになるのは分かっているからそのままでいいんだけど、現実だとしたら、藩を守って死ぬより生き抜く方がいい。私ならそうする。笑うだけ笑っておもしろかったねって言って映画館をあとにすればいいだけの作品のはずが、むやみに深掘りしてしまいそうになる。むだだな。


『俳優 亀岡拓次』
安田顕さんほんまいいですよね。ストーリーよりもカメラワークとか、現実と妄想?の継ぎ目のない切り替わり方とかが面白かった。


『シン・ゴジラ』
いろんな人がいろんなところで色々言ってるから自分の感想を書くのは気がすすまないんだけど、私はすごい好きだった。旧作はたぶん小さい頃に観たことあるけど全く覚えてない。モスラはあのなんか双子みたいなのと歌だけ覚えてる。あと家にモスラの卵のおもちゃがあったな。ちなみに私はいろいろあるシン・ゴジラ関連の記事の中でもこの記事とかに同感した。
“現実対虚像”がテーマだったけど、この作品自体がものすごい虚像だったというか、壮大なギャグだったというか。石原さとみが一番の虚像だったんじゃないか?それより台詞が長いし早口だし、ものすごい古い映画を観ているような気持ちにもなった。あと、何も知らずに観たので、エンドロールのキャストの最後の方に「野村萬斎」って出てきて「はっ?えっ?どこに?」ってなった。答えを聞いて劇場で爆笑したのでした。


『ディアスポリス(劇場版)』
ドラマがめちゃくちゃツボでおもしろかったので期待して観に行ったが、ちょっと思っていたのと違った。でもおもしろくなかったわけじゃない。ちょっと面食らった。ドラマは最終的に不法滞在者vs外国人排斥組織っていう構図があって比較的わかりやすく、事件がおきるごとにそれを解決していくサスペンス感覚で観ることもできたんだけど、映画の方は少し違った。ラストの海辺のシーンなんかは特にフィルム・ノワールのような感じがしたし、何がいいとかわるいとか何を守るとかでもなくなっていって、ぐじゃぐじゃに汚くなった人間が虫けらのように殺されていくのをただただ観ているだけのような。

日本の警察が出てくるでもなく、どちらかというとアウトローな日本のヤクザが登場して久保塚と組む。久保塚はどんな悪い事をした奴でも(不利な状況に置かれている外国人なら)殺そうとはしないけど、ヤクザにはそういう信念はどうでもよくて、仲間を殺した奴は殺す。それぞれ自分の道理で生きている。神を信じていたがために命が危うくなり祖国を追われた少年にも宗教の道理があったはずだが、よりどころであった神にすら見放されて(神を信じることができなくなった?)やけっぱちになり人を殺しまくる。なんだろう、そこにはもはやルールもないし、人道みたいなものもないし、でもなぜか友情だけはある…。どう消化したらいいか分からないまま映画を見終えて、相方とはとりあえず「ハマケンよかったね」みたいな会話で〆た。


ディアスポリスに出てくる裏都庁の裏都知事の設定、見た目(白髪のロン毛)が台湾の独立運動家、革命家として著名な史明に重なるなあとずっと思っていたのだがモデルにしたのかどうか真相は分からない。漫画が原作らしいので、漫画家さんに聞いたりしたら分かるのかな。

他にも観てるはずなんだが、すぐにメモしないと忘れる…。

Monday 26 September 2016

リップヴァンなんちゃらのアレがとてもよかったです

私が映画を好きな理由のひとつは、物語の中へとトリップする感覚がたまらないから。いつまでもその音と映像の世界に浸っていたい、と思わされるような作品があれば、それは私にとっていい映画です。けれどもその世界が“いつの間にか終わっていた”と感じられるようであれば、なおさらいい。

今夜観たのは岩井俊二監督の『リップヴァンウィンクルの花嫁』。岩井作品は他に『花とアリス』しか観てない。『リリィ・シュシュのすべて』とか『Love letter』とかずっと気になってるけどまだだ。ますます観たくなってきた。ふとしたことがきっかけで普通に暮らしていたはずの女の子の人生が狂ってしまう。いままでの生活が足元から崩れ落ちて、何もない世界に放り出される。絶望とか孤独みたいなものしか残っていないと思える状態から、それでも自分の足で立って歩こうとするたくましさ、ってのが、月並みな言い方しかできひんけど、すごく胸に刺さる。でも、こういうときのたくましさとか強さは、それらの言葉が本来人にイメージさせるような激しいものじゃないんよな。柔軟さとか、あるいは攻めじゃなくて受け止める方の強さだったりする。私は『百万円と苦虫女』を思い出したんだけど、いろいろ総括して考えてみると私が感動したり憧れたりする強さやたくましさは、とどまるのではなくて漂い続けること、その姿勢、あるいはそうなることを素直に受け入れること、であるのかなと思えた。

挿入歌、メンデルスゾーンの『歌の翼に』も、とてもいい。私の大好きな曲だ。昔、声楽に通っていたころによく歌った。軽やかで、やわらかい。この曲が観客をあの不思議な洋館へといざなう。そこには花嫁が二人、七海と真白の二人だけの世界、オレンジ色の明かりに照らされながらヴェールをなびかせて踊る。幸せでたまらないと思う。幸せのかたちってもっと自由なんだな。私が思っているよりも。それは男女が結婚することでなくてもいいし、家族に囲まれて暮らすことでなくてもいい。切ない幸せがあってもいいし、それが続いても続かなくってもいい。なんだか私ももっと身軽になりたいな、と思ったりした。

下調べをせずに、とりあえず黒木華と綾野剛が出てるという情報だけで(綾野剛が好きなので)選んだのだが、実は同じ二人が主演してた『シャニダールの花』とごっちゃになってて、「あれ、これいつになったら二人がくっつくの?」と置いてけぼりになりかけたのでした。でもそんなんすぐにどうでもよくなった。Coccoの自然体のような演技もすばらしくて、クラゲの部屋でウエディングドレスを着た二人が横になっているシーンが忘れられない。

ただのべた褒めになってしまった。鑑賞記録だし、まあいっか。
しばらくウエディングドレス着れそうにないし、私も試着と写真撮影だけしに行こうかな…笑 それはそれでたぶん幸せだ。

ボクシング日記:小指がだめです

ここ二ヵ月くらい、実はボクシングの練習を全然できていなかった。というのも、小指を痛めてしまったせいだった。前回の練習の時にマスボクシングをやっていて、相手のパンチを左手で払おうとしたときに小指に激痛が走ったのである。まあそのうち治るやろと思っていたら全然治らず、整形外科に行ったら「捻挫」と診断された。地味だ。地味ながら捻挫は下手すると骨折よりも厄介で治りが悪いらしく、処置は早めにしっかりと、ということで左手の小指と薬指に固定具を添えて包帯でぐるぐる巻きにされた。そうやって一ヵ月過ごしたのちも痛みが残り、ビビっていた私はなかなか練習に参加できなかったのです…。

スポーツに怪我はつきもの。それはよく言われることですが、万年文化部だった私からすればそんなの非日常!!中学生の時に体育の授業でバスケしてて中指骨折したことあるけど、あの時も相当ビビッてしばらくバスケットボール触りたくなかった…そもそもスポーツマンにはそぐわない性格なんだと思う。でも今回は、左手が使えない間に右手だけで練習したりもしたのだから、少しは成長したんじゃなかろうか。そして二日前に久々の両手で練習!!サンドバックを打ちまくってやろう!!と意気込んでいった結果、マスボクシング中に再び小指に激痛が。わからんけど、本気でスポーツやるなら、こういう痛みには耐えてなんぼなんやろうと思われる。私はだめでした。だって痛いもん。小指が。痛いもん。

それにしても、物を掴もうとするたびに痛いので困ります。ボクシングで怪我しないとか不可能に近いと思うので、面白いし楽しいけど、私にはボクササイズくらいがちょうどいいんだろうなと今さらながら気づきました。そう考えると『百円の恋』の主人公はすごいし、演じてる安藤サクラは実際に中学生の時だっけな、ボクシング経験あるらしいし、つまり安藤サクラはすごい!でも最近NHKでやってるドラマ『ママゴト』では彼女を含め出演者の広島弁があまり上手じゃなくて、というか広島弁のセリフに気を取られすぎて観ているこっちも内容を楽しめず、1話まで観てから続けられなかった。『ディアスポリス』の映画にちょい役で出てたやつはよかったけどなあ。ってボクシングから話がそれた。

今後もちょくちょく続けたいけど、私の体が劇的に丈夫にならない限り友人たちの中に混じってやるのは気が引ける。何か適度に体を動かせる機会が欲しいものだ。近所の体育館でやってる卓球に参加するか、前から興味のあるヨガを始めてみるか。そうやって続かなければ意味がないのだよなあ。万年文化部女子のボクシング日記は今後どうなる?!

Wednesday 21 September 2016

気合いを入れてがんばるの巻

最近ブログの更新が滞っていたが、そうこうしているうちにアクセス数が謎の劇的上昇を見せ、普段は一日に一桁であったのが数百件になっている。どうやら、以前投稿した台湾ドラマ≪愛上哥們≫に関する記事が原因らしい。今月末から日本でも『アニキに恋して』として放送開始だそうで、タイトルを検索するとうちのブログがヒットするみたいだ。

台湾の友人にすすめられるがままに観始めてハマったドラマなのだが、ドラマのタイトルを自分で考えてブログで書いていたら、それが配給会社の目にとまった(?)らしく、使用許可がほしいとの連絡をいただいたのだった。そう、実はあのタイトルは私が考えたんですよ(ニヤニヤ)。いや、単に配給会社さんがすでに考えてあったやつが、ネット上のブロガー(つまり私)のものとたまたまかぶってしまったので、やむをえず許可をとることになった、という感じなのだと思うのですが、でも一台湾ドラマファンとして、また映像翻訳の仕事をやりたいなと考えている者としては、とっても嬉しかったのであります。今なら公式サイトで第1話が無料で見れるのでぜひ!

改めて日本語字幕付きで映像を観ながら、やっぱりすでにプロとして仕事をされている方の翻訳はすごいなあと敬服した。「我忍不住」というセリフを「胸がいっぱいで」と訳したりとか、「你再謹慎一點」を「用心に越したことはない」と訳したりとか…ちょっとした工夫かもしれないけど、それがなかなか思いつかないもの。語彙力、表現力を駆使することで、あの短い尺の中に原文の脚本が意味するものをきれいにまとめて入れる。字幕翻訳は奥が深い。これまで日本語字幕なしで観ることが多かったが、日本語字幕付きで観るとやはりいろいろ勉強になる。どんどん観ていこう。

とはいえ、自分も早く字幕翻訳の仕事がしたい。4月から通っていた字幕翻訳講座も9月頭で終わり、先日トライアルを一社受け終えたところだ。結果は一カ月後。狭き門のようではあるけれども、いろんなところのトライアルにチャレンジしてみようと思う。

Sunday 31 July 2016

日曜の午後、暑い。

参議院選挙に東京都知事選と選挙が続き、今日は投票に行ってきた。参議院選挙よりもだるかった。宇都宮さんに期待していたのに、出馬を取りやめざるを得なくなってしまったことはいまだに悔やまれる。もやもやが晴れず、こういう時こそボクシング!なのに前回の練習で左手小指を捻挫してしまい、ますます気落ちする。どうしてもサンドバックを思い切り殴りたかったので、昨日は右手だけで練習に参加してきた。幾分か楽になった気がする。そして今日はもちろん右側だけ筋肉痛である。自分を幸せにするものは適度な運動と知識の吸収。呆れかえるようなニュースもあるが、心身の健康を保ちつつ、自分のペースで向き合っていくしかない。それにしても殴りすぎた右手が痛い。

Monday 11 July 2016

参議院選挙と母のことから

参議院選挙が終わった。大雑把な結果だけ見れば、改憲派でほぼ三分の二の議席が埋まってしまったということで落胆の思いを隠せない。でも新潟、岩手、山形といった一人選挙区で野党共闘候補者が当選するなど、自民党の暴走に歯止めをかけるための希望も見えた。安倍首相は早速、改憲に向けた意欲とやらを示して満面の笑みだ。今回の投票前に、自民党の改憲草案に少しでも目を通したうえで自民党に投票した人がどれくらいいただろう?国民の自由が制約され、得体の知れない愛国心を強要するような内容だ。憲法第九条について注目されがちだが、それよりも草案で追加される緊急事態条項の方が懸念が大きい。緊急事態条項がなくても災害などの非常時に十分対応できるという考えの方が筋が通っていると私は思っている。権力集中に歯止めがきかなくなるような条項をわざわざ入れようとするのは絶対おかしい。自民党が勝手に作った草案にすぎないとはいえ、国会で多数の議席を占めているいま、実際に改憲案が話し合われることになっても多数の力で細やかな議論がないがしろにされて草案から進歩のないものが出来上がるとなれば大問題だ。最終的に国民投票になったとき、良かれ悪かれ何らかの意図があって憲法を改正するというのだから、国民の側はそこを理解して賛成か反対か決める必要があるし、政府はその判断の材料を十分に伝える必要がある。当たり前のことだが、問題は、こんな当たり前のことが今の政権、今の国民一人一人にできるのだろうかということ。特定秘密保護法を強行採決したような人たちが多数を占める国会で、きちんと審議が行われるのか?現政権を批判する人たちの胸にはそういう不信感があると思う(そもそもあの改憲草案を作り出すような思考回路の人たちで組織されている政党は支持しがたい)。さらには、投票すらいかず、あるいは投票にいく余裕すらないような毎日を送っている国民一人一人に、自分の頭を使って冷静に判断することができるだろうか?これは私自身にも、私の身近な人たちに対しても問うていることだ。

投票の前日、私は地元・和歌山にいる母親に電話を掛けた。投票に行こうねと声をかけるためだった。母は仕事で忙しいから行けるかどうか分からないと前置きしてから、行けたとしても知人に頼まれているから自民党に入れる、と話す。「頼まれたから」「付き合いがあるから」特定の政党に入れる。よくある話だが、これが地元の現状なのかと思い知らされて暗い気持ちにならずにはおれなかった。大学進学とともに県外に出たとはいえ、私自身、地元での自民党支持の根強さと、付き合いで投票先を決めるという悪習が当たり前になっていることは、十数年暮らす中で肌で感じて分かっていた。母がどの政党、どの候補者を支持するかということに関して、いくら娘とはいえああだこうだと無理やり考えを押し付けることはできないし、最終的に決めるのは個々人であると思っている。でも、自分で選挙の争点や、候補者の考えや、政策やらをあれこれ考えた末に誰に一票を投じるか決めたのであればいいが、そうでなくて単に他人から入れてと頼まれたから入れるというのなら、どうにも納得がいかない。たった一票(正確には選挙区と比例区で二票だが)の自分の権利を、他人にゆだねてしまう。ほんとのところ誰に入れたかなんて、自分で言わなければバレるものではない。なのに自ら思考停止に陥り、他人のすすめに応じてしまうのはなぜなのか?一昨日からずっと、このことを考えている。

正直なところ、今回、外から眺めている分には野党統一候補のゆらさんが票を伸ばしそうにも思えて、少しばかり期待していたのだ。自民王国の和歌山に変化があることを。私は確かに今の自民党の考え方とか、代表者である安倍さんのやろうとしていることには反対だが、自民王国の和歌山に変化があってほしいと願うことの裏には決して、自民党まるごとすべて、あるいは自民党の支持者すべてを否定し、この国から排除したいなんて極端な思惑があるからではない。私はただただ、母のような思考停止状態にある人が少しでも自分の頭で考えるようになってほしいと考えているのだ。それが良い変化だと思う。しかもそれは自民党以外の政党の議員を和歌山から国会へ送り出すことになるような大きな変化にもつながると思う。これは緻密な裏付けがあるわけではなく、経験からくる憶測に過ぎないのだが、長年の和歌山の自民党支持の厚さが示すのは(仮にあるとして)自民党や党議員の政策のすばらしさやビジョンへの圧倒的な共感であるというよりも、みんな付き合いというものに縛られているだけなのである。和を乱したくない、排除されたくないというような、消極的な人間関係の築き方が根っこにある気がする。自分自身が意識的に気を付けようとしている弱点もそこにあるからか、課題としてより鮮明に浮かび上がってくる。(とは言っても、ほんとにみんながみんな、心底自民党支持だと言うなら私のいま考えていることはすべて無駄なのですが)

なんだかんだうるさいことを言ったところで、私は地元を離れてもう十年近くになるので、実情をはっきりと把握できているわけではなく、内部の雰囲気もよく分からない。それに、母親は「毎日の生活に精一杯で世の中のことを考える余裕がない」と言ったが、そんな精一杯な状況を娘としてなにか手助けして改善してやれるかと言えば、自信をもってイエスと言えない。これはある意味、私が家族というものを遠ざけて遠ざけて、精神的にも経済的にも支え合えるような関係性を築けてこられなかった結果でもあるのだ。家族関係のようなとても小さなコミュニティや、そこでのコミュニケーションがうまく機能していれば、社会全体から見た時の個としてのふるまい方や意識みたいなものも、いい方向に成長していくのではないかと、少し唐突すぎるかもしれないがそんなことを考えていた。個として成熟していない人たちが、まやかしの個人の自由を掲げてすすんで孤立化し、かたや未成熟であるが故の不安にさいなまれてより大きなものに依拠したがる。その成熟のためには、いろんな要素が必要で、環境を整える必要もあって、その一つが身近な人たちとの損得感情のない友愛関係の構築なのではないか。ざっくりして抽象的なことしか言えないのが歯がゆいけど、こういうことを真剣に考えるなら、一度ゆっくり地元に戻ってみるのもありかと、ふと思ったのだった。

Tuesday 28 June 2016

最近観たやつメモ6月28日

最近観た邦画三本。


『駆込み女と駆出し男』

大泉洋がわけのわからん作り話の長ゼリフを言うところが良かったです。江戸時代は離婚の主導権が夫側にあったらしく、どうしても離婚したい訳アリの女が最後の手段として駆込んだのが縁切寺「東慶寺」。じょごのパワフルさに脱帽。一生懸命働ける女は強い。井上ひさしの『東慶寺花だより』というのが原作だそうで、こっちを読んでみたい。


『ピースオブケイク』

白状するとヒゲ綾野剛が見たいがためにDVDを借りた。かっこよかったです、ありがとうございます。簡単に言うと、流されて恋愛してきた女の子が本気で好きになった人と恋に落ちたけど信用できなくて一回別れてまた付き合う、みたいな話でした。人が良くて寂しがりでへらへらしている男(三十路過ぎ)を演じている綾野剛がただかっこいいというだけの映画だった。京志郎が友人の借金のために店の売り上げからお金をガバッて渡すところで志乃ちゃんが「一生ついていきます!」とか言っちゃってるシーンでは「おいおい、あかんで、これあかんタイプの男やで」とつい口に出てしまった。最近はドラマや映画の中で女子たちが恋愛や結婚について話しているシーンになるとあまり共感できないことが多く、むしろ突っ込みを入れてしまう。歳か。


『海街diary』

是枝さんの映画は『誰も知らない』(2004)、『空気人形』(2009)、『そして父になる』(2013)しかまだ観てないんやけど、どの作品でも毎回共通して家族関係のような親密な人との関係性を問われている気がした。母親が出て行ってしまって残された血のつながらない子どもたちだけでマンションの一室で生きしのいでいくという話、セックスドールと同棲生活を送っている男と人間の心を持ってしまったそのセックスドールの話、血のつながった息子と数年間我が子として育てて一緒に暮らしてきた息子とどっちを選ぶかみたいな話。そして『海街diary』も、姉妹三人プラス腹違いの妹が父親の死をきっかけに一緒に暮らし始める話と。どれも、家族や恋人と聞いてパッと想像しうるようなものとは違う関係性の中で暮らす人たちがいて、むしろ常識からすると破たんしていたりする人間関係、人と人のつながりが映し出されている。当たり前、普通、と思っていたものがある日急に揺るがされる感覚。そこまでどぎつくないけど。

海街diaryでは女四人が集まって一緒に住んだらいくら姉妹とはいえ息苦しくて誰か脱落してしまいそうなものを、四人がそれぞれ欠けてはいけないピースのように、喧嘩しながらも和気あいあいと暮らせているんだから驚きだ。木造日本家屋の庭付き一軒家がまるで取り残された女たちの城のようにも見えてくる。わたしも一緒に暮らしたい。仲間に入れてください。でも、そこに入り込みたくなるようでは生ぬるい。ぎすぎすしていない。みんなやさしい人たちばかりが登場する。姉妹も、食堂のおばちゃんも、カフェのおじさんも、銀行の上司も…そういえばレキシの池田貴史が出演していたので吹いた。あれは反則だ。普段、稲を振っている方に馴染みがある人が見たらそりゃ吹いてしまう。イラっとするのは、やさしそうに見えて本当はやさしくない人だ。長女・幸と微妙な関係にあるのは精神的な病を抱えた奥さんと離婚しきれない男。堤真一が朗らかに演じていて、ヤワなというか、毒のない、あいつ悪いやつではないんだけど、という感じの雰囲気が、妙に気に入らない。ついに離婚して、幸を連れてアメリカにわたりたいとか言い出す。でも幸は三人の妹たちとの暮らしを選ぶのだった。うん、それがいい、と心底思った。


ピースオブケイクも海街diaryも漫画原作であった。漫画原作多いなー。
アナキストの本読んで殺伐とした気持ちになっていたところで海街diaryを観たのでマシュマロに挟まれたビスケットの気分である。(あれ?ビスケットでマシュマロ挟むんだっけ?)

Monday 27 June 2016

台湾映画『太陽の子』を観てきた―台湾原住民の問題を知るきっかけに

先日、台湾映画『太陽の子』の上映会に行ってきた。これまた台湾文化センターにて。朝日新聞を経て現在フリージャーナリストの野嶋剛さん大絶賛で、彼の力があって日本での上映が叶った。今後も色んな場所で順次上映されていくようだ。

この映画は台湾原住民・アミの家族とその村の物語であり、台湾社会における原住民をめぐる様々な問題を、穏やかなタッチでありながらも鋭い視点から描いた作品だ。故郷の村に子ども二人と父親を残し、台北で働いていた子どもたちの母・パナイ。彼女は父親の病気をきっかけに帰郷し、耕す人がいなくなりホテル建設のために売られようとしていた自分たちの土地を蘇らせようと東奔西走する。実話を基にした作品で、2013年にはパナイのモデルとなった人物の息子であるレカル・スミさんが『海稻米的願望』というドキュメンタリー映画を制作している。それを観て感動した映画監督の鄭有傑さんがレカルさんとともに新たに映画を撮ったといういきさつ。

映画を観る前に、台湾での原住民たちが置かれている状況や、原住民の土地をめぐる争議についてちょっと知っておいた方がいいかもしれない。

漢民族が本格的に移民してくる前から、原住民たちは長い間台湾で暮らしてきた。入れ代わり立ち代わりする支配者とそれに伴う社会の移り変わりの中で、本来原住民が暮らし、耕し、生命をつないできたはずの土地は、彼らの手から無残にも奪われてきた。(もちろん植民地支配した日本も無関係ではない)1980年代以降、「土地を返せ!(還我土地!)」という原住民たちからの訴えが上がり、近年でも度々問題視されてはいるものの、台湾人口の2パーセント前後でしかない原住民たちの声がないがしろにされることは少なくない。映画でも、土地の所有者であるはずのおばあさんの登記書が「台風で飛ばされた」という理由で役所から忽然と消え、その所有が認められず、無理やり公共工事を進められてしまうという出来事がある。本当に飛ばされたというなら杜撰にもほどがあるし、実際は嘘八百で単に土地をとりあげて国有にしたかっただけである。しかも、こういう出来事はフィクションだけの話ではない。私は四年前に花蓮の原住民の村にお邪魔し、そこで土地問題に取り組むご年配の夫婦にお会いした時も同様のお話を聞いた。企業側と役人が組んで土地の所有権を放棄させ、奪い取り、コンクリート工場を建て、周辺の環境も汚染する。まったくもってむごいしせこい。

とはいえ、先祖代々受け継がれていた土地を泣く泣く売ってしまう人たちがいるのも事実で、映画の中の風景には、道路わきなど至るところに「土地売ります」という看板が立てられている。田舎では仕事がないから、若い人たちは都会へ働きに出る。そうして田畑を耕す労働力が失われ、土地は荒れ果て、ホテル建設を目論む資本を持った事業主に売りさばくことぐらいしか、残された人たちには手立てがない(生活のこともあるしね!)。でもそれじゃあいかん。ここは私たちの土地だ。私たちの手で稲穂に満ちた田んぼをよみがえらせるのだ!と立ち上がるのがパナイであり、パナイの訴えに心を動かされた村の仲間たちである。彼らも最初から賛同していたわけではない。荒れ果てた土地に稲を植えるためもう一度耕すにはそれなりに資金もいるし、壊れた水路の整備をすることから始まり、作業は生ぬるいものではない。めでたく米が収穫できたとしても、それが売れるという保証はどこにもない…いろんな壁があり、もちろん反対する人も出てくる。無理だといって一蹴していた人びとを、パナイがアミの言葉で涙ながらに説得する姿。彼女の熱い訴えに、徐々に場の空気が変わっていく様子が映像からひしひしと伝わってきて、つい私まで涙がこぼれる。

映画を見終えて、台湾の原住民の暮らしと自然との関わり方、アミニズムのような信仰、原住民とアイデンティティの関係について改めて興味をひかれた。同時に、以前読んだ台湾の蘭嶼島に暮らす原住民・タウの作家であるシャマン・ラボガンさんの小説と、イベントで聞いたシャマンさんの言葉を思い出していた。シャマンさんも故郷を出て台北に進学し、卒業後もしばらくタクシー運転手などをして働いていたことがある。その後、体調を崩すなどして家族とともに故郷に戻ることを決意。蘭嶼島に戻ったとき、タウの男でありながらタウの男としての生きる技術(木を伐り、船を作り、漁をする等々)をなんら身に付けられていないことを思い知り、失ったアイデンティティを取り戻すためにひたすら海に潜り始める。海という大自然との共生の始まりだ。シャマンさんの小説には彼自身が海とともに暮らす日々が描かれており、限りなくノンフィクションに近いフィクションの物語である。一方、『太陽の子』ではパナイの娘・ナカウが、陸上の試合を前にして自信を失いその場に座り込んでしまうというシーンがある。そこでパナイはナカウに強い口調で何度も「あなたは誰?」と問う。ナカウは一瞬戸惑ったかのように見えたが、ぼそぼそと、それから徐々に声を張り上げて答えた「パンツァー!(アミ)」 そうして何かの決意に満ちた表情を携えナカウはスタートラインに立ち、走り出す。

どうやら自分はどうしてもアイデンティティに関わる話に興味がいってしまうようで、こういう人物たち、あるいは映画のワンシーンに出会うと、私はなんとなくうらやましいと思ってしまったり、なんとなく感動してしまったりする。台湾人が台湾人アイデンティティを言うときにも通ずるが。なぜ彼らがそうやってアイデンティティを切望したり、自己を何らかの民族であると意識することで胸を熱くするかというと、彼らとは異なるアイデンティティを持つ「他者」の存在のために不利な立場に置かれるという切羽詰まった現状があるからである。そこにはある次元での圧倒的な力関係の差があり、優位な方はそうでない方をその次元に取り込んで、各々が実は異なる価値観や誇りを持った「他者」であるという事実を包み隠そうとする。私たちは仲間なんだと優しい素振りで声を掛けるが、そこに対等な関係性があるとは限らない。いつの間にか相手の論理でゲームをさせられて、流れについていけずに置いてけぼりを食らうのがオチ。そういう状況で敢えて境界線を引くのは、勇気もいるけど自信にもなる。輪郭を描いて、自分が何者であるかという意識を強くすることによって、むやみやたらと自分たちに有利なゲームに取り込もうとしてくる「他者」に抗うことができる。原住民の問題だと、境界線の向こうにあるのは「本省人」とか「漢民族」とかで、台湾が意識する先には中国という存在がある。でもそんな分かりやすい民族とか国家の対立構図だけではなくて、もっと普遍性のある問題をあぶり出すことにもなる。それはあまりに進みすぎた経済発展最優先の資本主義の在り方であったり、多様性という衣をまとって統合しようとしてくる政府の文化政策であったり、いろいろである。私はナショナリストではないし、どちらかというとナショナリズムには懐疑的なところがあるけど、軍事力なり経済力なりなんなり、己の持っている資源のでかさに物言わして「他者」を従わせようとしてくる奴らに対しては、ナショナリズムでもなんでもうまく活用して対抗してやらんと、と思うところもある。一方で、そういう政治に深く絡みそうなアイデンティティの話とは別に、単純に、自分が何者であるかということを強く意識できることは自分の力になるし、なにものでもない不安定感をやわらげ、地に足付いたような感覚にさせてくれるってことで、自分にもそういうのがあれば、なんて思ってうらやましさが湧いたんだと思う。それは気休めでしかないんだろうけどね。

先に「シャマンさんは失ったアイデンティティを取り戻すために」と書いたが、アイデンティティって取り戻すとか見つけるとかいうより、選ぶとか決意するっていう動詞との親和性が強いように私には思える。自分の存在の方向性を選び、そちらに向かうことを決意する。決意すると視界がすっきりして、徐々に現状を打破する方法が見えてきたりする。何かに抗いつつ、自分のあるべき姿を見定めた人のパワーはいつもすごい。私にはこれが足りないんだよな…なんて。

ナカウは最後に台北の学校へ進学する道を選ぶ。これから都市へ出てゆく彼女は、パンツァーの心を持ち続けられるのだろうか。映画には関係ないけど、私には少し気になるところである。

今日も明日も負債負債

栗原康『現代暴力論』を読みながら日本の奨学金制度と自身が今後二十数年間かけて返済していかねばならない600万近くの負債について思いをはせている。貸与型の奨学金(そもそも奨学金と呼びたくないけど)なんて若者に「借りたんだから返せよ、まっとうに働いて返せよ、お前が返さないと次の若者が奨学金をもらえないんだからな」という負い目(社会一般では責任感とも言う)を感じさせることで成り立っているようなもんだ。実際成り立っているのかどうか怪しいところで、払えなくなってしまった人たちが社会の闇の中に消えていってるのも事実。極端なことを言えば、日本の奨学金制度はあくまで社会を回していくためだけ、再生産のためだけにある。決して一人一人の若者の夢や希望のためにあるんじゃない。そうやって貸与型のサイクルが成り立っている限りは、学生らが一応無事に学を修めて職にありついて何かしらの価値を生んでは対価としての賃金を得、その金で返済をしているということであり、世の中のサービスも経済も回りつづける(はず)だし、給付型の奨学金制度を整えるためにわざわざ工面して財源を組まんでよいのだから、政策決定者にとっては万々歳である。「え?借りたお金は返すのが常識でしょ?てゆか貸与型でも奨学金制度があるからこそ、貧乏でも学校に通えて教育が受けられるんだからそれに越したことないじゃん」っていう声が聞こえてくる。思うに、それが「奨学金」という名を借りたただの「借金」であるにも関わらず、進学のためのメジャーな経済的支援制度として普及しているところがあくどい。最初からはっきり借金と言ってくれればいい。高校三年の時、「普通はみんな奨学金受け取るものだから」という理由で申込書を書かされた。うちの家はそこまで経済的に厳しいわけでなかったのに。そこで申し込まなければよいものを、自分の頭で物事を考えることを知らなかった当時のわたしは、それが普通だからという理由で受け入れた。高校三年生のわたし。言われた通り勉強するだけのお受験脳だった。今は卒業して働きはじめ、毎月きちんと返済しているが、今後日本にこの制度がこのまま続いていくことには反対だ。借金を背負って勉学したところで、それを返すためにはそこそこ以上の企業に就職して働くことが必要になってくる。本当にやりたいことが別にあったとしても、負債があるから好きにできない、今の会社を辞めたいけど辞められない、払うまでは結婚も子どもも無理…身軽でない。一体何のために金を借りてまで大学を出たのか…という思いに駆られることもあるかもしれない。大学自体、ますます大金をはたいてまで通うほどの価値のある場所ではなくなってきている気がする。企業人育成のための大学ならいらない。だったらもうそのまま社会に出て働けばいいじゃない。なんだか話が脱線してきたが、わたしは借金を踏み倒すほどの勇気はないのできちんと返しますが、その負債がために自由に好きなことができないなんてことにはならないようにする所存です。以上。

Thursday 16 June 2016

はじめての蓄音機で台湾語歌謡を聴きながらあれこれと

「台湾語ポップス黄金時代のSP盤を蓄音機で聴こう!」というイベントに行ってきた。@台湾文化センター。今年は一段とイベント目白押しで、経済文化代表処の本気をビシビシ感じる。(いいぞいいぞ!そのうち吳寶春とかも来んかな!パン試食付きで!)

日本植民地時代の台湾の貴重なレコードを蓄音機を用いて聴くという主旨のイベントだが、台湾大学音楽学研究所に在籍中で植民地期流行歌の研究をしている林太威さんのほか、1990年代の「新台語歌運動」を担ったミュージシャンの一人、豬頭皮さんがトークイベントのためにやってくるということで、どんな話が聞けるかとワクワクしながら会場に向かった。

レコードを見て触ったことはあったが、蓄音機を使って聴くのはこれが初めて。イベントのために用意された蓄音機は選曲家・桑原茂一さんの私物。古い蓄音機はデリケートでゼンマイが切れて壊れやすいため、今回は電動式のものが使用された。「本来なら蓄音機の周りに数人で集まってじいっと耳をそばだてて聴くもの」だそうで、はしっこに座っていたわたしはせっかくだしと思っていそいそと蓄音機の真ん前まで近づいていった。蓄音機の蓋の内側には見覚えのあるワンちゃんの絵。ビクターの蓄音機だ。音のかすれた感じが、一枚のレコードが辿ってきた歳月を思わせる。予想よりも驚きがなかったのは、たぶん映画の中で流れる蓄音機の音を聴いたことがあったからだと思うけど、CDやなんかで聴くよりも音の波を感じられる気がした。

いよいよ豬頭皮が登場、さっそく「無醉不歸」(1999年カバー)を歌ってくれた。原曲は1935年、作詞:李臨秋、作曲:王雲峰。台湾文化センターはそもそも音楽ホールのような防音設備なんてないはず(前回宇宙人が演奏してた時は外に丸聞こえだった)なので、大掛かりな演奏じゃなくてYoutubeのMV流しながら歌うという感じだったけど、このライブなんてしなさそうなお堅いビルの一角で豬頭皮が端から端まで行ったり来たりして歌ってるってのがアンバランスでおかしかった。林さんも登場してみんなで「無醉不歸」のレコードを鑑賞。そうして林さんによる解説を交えながら「台北音頭」(これは日本語で、「東京音頭」をもじって在台日本人が台北への愛着を込めて作った曲だそう)、「蝶花夢」、「陳三設計為奴」、「望春風」、「雨夜花」、「月夜愁」、「補破網」と順に聴いていった。

豬頭皮曰く、1991年に台湾語の曲でCDデビューした彼の頭の中には常に台湾語歌謡が流れていたという。これらの曲の精神を創作に注ぎ込み、出来上がったのが「望花補夜」という曲だ。1930年代の流行歌―いまでは「老歌」=「懐メロ」とも呼ばれる―は専門家の研究では当時少なくとも500曲以上あったといわれている。その中でも長きにわたって台湾人に愛され、今なお歌われ続けている代表曲といえば「望春風」、「雨夜花」、「月夜愁」なんかが真っ先に挙げられる。豬頭皮の「望花補夜」は、代表的なこの三曲プラス第二次世界大戦後に創作された「補破網」からインスピレーションを受けてつくられたもので、それぞれのタイトルから一文字ずつとって命名された。まさしく、台湾語歌謡へのオマージュとして作られた作品である。「望花補夜」にも豬頭皮のユーモラスでおちゃらけた作風が満ち満ちていて、それはまるでしばしば「暗くて悲しい曲が多い」と言われてきた台湾語歌謡の既存イメージを吹き飛ばそうとしているかのよう。なんて思っていたら豬頭皮が書いた短い創作手記がありました。これによると、選挙戦の民進党応援演説の場で台湾語歌謡を演奏したときのこと、歌い終えた後である牧師さんが「もうこれから台湾(人)は悲しむ必要ないのだから、こういう悲しい歌は歌わなくてもいいんだ、引き出しにしまっておこう」と言ったのを聞き、豬頭皮がそんなら“悲しい歌”なんて言われている台湾語歌謡を新しく解釈しなおして、愉快で踊れるようなロックにアレンジしてやろう!と思い立ったそうな。「望春風」なんかが選挙の場で歌われていたことはよく聞いた話だけど、豬頭皮とかがわざわざ歌いに行ってたのか。

話を聞くうちに80年代末~90年代にかけての台湾語歌謡にまつわる音楽業界の変化とか、作品の時系列がこんがらがる。以前、ある方(日本人)が1980年代に台湾に行ったときのことを話してくださって、いわゆる党外活動をしている人たちがこっそり集まるような喫茶店とか食事できるような場所で、台湾語の曲を歌って士気を高めている人たちの姿が見られたそうな。そういうところでよく鳳飛飛の歌っている台湾語の歌がラジカセから流れてくるのを聴いたらしい。1977年と1986年にそれぞれ歌林唱片から台湾語歌謡のアルバムが出てるので、たぶんそのいずれかなんだと思う。鳳飛飛も昔の台湾語歌謡の発掘に尽力した歌手のうちの一人で、羅大佑プロデュースのアルバム『想要彈同調』も出してる(百代唱片EMI)。それが1992年8月のこと。その三年前、1989年には黑名單工作室が『抓狂歌』出してて、これが「新台語歌運動」の始まりと言われる。鳳飛飛も1992年のアルバムの中で台湾語の新曲を出しているけど、鳳飛飛のこういう音楽活動が新台語歌運動の範囲に含まれて語られることはない。鳳飛飛は台湾語で創作しても、そこに社会風刺、政治批判、ロックの精神なんとかかんとかって盛り込まない。鳳飛飛はよく、古い台湾語歌謡を改めて“ラッピング(包装)”しなおすことで、低俗と難癖つけられることさえあった台湾語歌謡の地位を高めたい、みたいなことを言ってた。新台語歌運動では台湾語歌謡が低俗かどうかはもはや問題ではなくて、台湾語で歌い、その中で何を訴えるかが大事やったんかな。方向性が全然違うよな。何とも言えない脱力感も。でも、だからといって当時の豬頭皮さん含め新しい世代の台湾語“ポップス”と、鳳飛飛のやってきたこととが無関係ではないだろうと思うんだが、そのへんのことを聞いてみたいと思いつつ質問がまとまらずチャンスを逃した。いつもこうです…

もう一、二か月後には林さんが副館長を務める『聲音光年1932』というレコード資料館がオープンする予定だそうだ。次台湾に行くときには足を運ばねば。それにしても、同じ空間で日本人と台湾人が、日本植民地時代の台湾語のレコードを聴くというのは、なんとなく不思議な心地がした。

あと関係ないけどこの本欲しい。ネットでちょっと読める。トーク聴いたあと、久々にまじめに勉強したくなった。

Sunday 12 June 2016

『追憶と,踊りながら』観た―コミュニケーションを撮ること

イギリス映画『追憶と,踊りながら』を観た。原題は“Lilting”。ウェブリオで検索したら「〈声・歌など〉軽快な(リズムのある)、浮き浮きした」と出てきた。そのタイトルや淡くやさしい色合いの映像とは裏腹に、どのシーンにも重たい空気を感じたのは私だけだろうか。

介護ホームに暮らすカンボジア系中国人のジュンは、亡くした一人息子・カイとの記憶の中に生きていた。そこに現れたのがカイの恋人・リチャード。カイとリチャードはゲイのカップルだったが、カイは自分がゲイであることを母親に打ち明けられずにいたのだった。カミングアウトしようと決めていたその日、カイは交通事故で帰らぬ人となってしまう。

リチャードは何かとジュンを気にかけ、ジュンが介護ホームで知り合った男性アランとコミュニケーションをとれるようにと、北京語と英語が話せる友人・ヴァンを連れてきて共に交流を始める。だがジュンはリチャードのことを毛嫌いしたままお互いの溝を埋められず、リチャードもまた、カイとの関係を打ち明けられずにいた。

気になったこと。

互いに話す言語を理解できない者同士が、通訳者を介してコミュニケーションをとろうとする構造について。そうすると、通訳者はプロではなく、どうしても言葉を発した者の伝えたかった元のニュアンスがうまく伝わらないことがある。それは時に滑稽なやりとりを生み出し笑いを誘うが、ジュンとリチャードとの溝が一向に埋まらない様子に、観ている側はやきもきさせられたりもする。また、カイとリチャードの関係性に関わることなど“伝えにくいこと”について、リチャードが「今のは訳さなくていい」と言ってしまえば、通訳者がそれを伝えることはなく、本来伝えたかったはずの事柄はコミュニケーションの継ぎ目からこぼれ落ちてしまう。相手の言語が分からない二人は通訳者を介すが、それによりコミュニケーションが万全になるとは限らない。むしろ、ムードを悪くして確執を深めてしまうこともある。最終的に二人が大事なことを話すとき、通訳者が間に入って訳することはなく、理解できないが互いに何かを伝えあっている、という状況が生まれる。

同じシーンを複数の角度から撮ることについて。事故に遭う前日、カイは介護ホームに訪れてジュンと何気ない会話をした。そこでのジュンとカイとのやり取りのシーンには、同じセリフでも二通りある。一つは、冒頭でジュンの記憶として蘇るもの。そこに映るカイの姿は少しやんちゃそうな、溌剌とした青年という感じ。これはジュンの視点から見たあの日=事故に遭う前日の、最後のカイの姿だ。もう一つは、中盤でやや断片的に流されるもの。ここではよりカイの心理に寄せて親子のやり取りが撮られている。次の日のディナーでカミングアウトすると決めていたカイの、少し強張った不安混じりの表情に、ジュンが気づくことはない。親子の間を閉ざすなにかがあったことを感じさせる。

ラストの仕掛けと、コミュニケーションの前提条件について。リチャードがついに、カイがゲイであったこと、自分がカイの恋人であることを伝えるシーン。想像しうるシナリオならば、このあとジュンはこう答えるはずだ。「本当はずっと前から知ってたのよ」「でもどう受け入れればいいか分からなくて、あなたに冷たく当たってたの」というように。そうして二人は静かに抱きしめ合い、互いの傷を深く理解し合う。それは観ている者にとってある種のカタルシスを味わうことのできる結末であるかもしれない。でもこの映画はそんな分かりやすい展開にはならなかった。ジュンは通訳者越しにその“事実”を聞くと、大きく表情を変えることはなく、かといってそれを知っていたというような素振りも見せず「私は愛する人のために嫉妬していたの」「あなたも子どもを持てばその気持ちがわかるはずだわ」と。リチャードは「あの時カイに車を使わせていれば事故には遭わなかったのに」とおそらく自分を責め続けていたであろう胸の内を語る。続けてジュンは「私は母としてただ(カイを縛り付けようとしたのではなく)カイのそばにいただけだった」と。ここで通訳は介されない。二人は互いが何を言っているか理解しないままだが、不思議と二人とも今は亡きカイに対する懺悔のようなことを話す。そして最後、ジュンは思わずリチャードに向けて「カイ…」と呼びかけるのだった。二人の間に共通言語は必要なく、ただ「カイを愛している」という前提だけがあれば、それで関係が成立するようだった。

リチャードを演じるベン・ウィショーという俳優は、数年前に自身がゲイであり、同性結婚をしたことを公表している。ゲイがゲイ役を演じることについてこんな記事があった。私はそういう背景を知らずに観たけどすばらしい演技だと感じたし、背景を知った後も、彼がこの役を演じることでLGBTに対する理解というような社会的な意味が作品に加わったり、そもそも作品としての厚みが出たりしてよりいいものになったんだなと思った。一方で、舞台(スクリーン)から降りた後の役者の素顔だったり、人となりだったりを知っておくことって、そんなに重要なことではないよなと思ったりもして。むしろ単純に楽しむためだけなら知らずに観る方がいいこともあるよなって。というのは、最近、伊藤英明が主演してるドラマ『僕のヤバイ妻』を観てて、あれ佐藤隆太が刑事役で出てるけど、伊藤英明と佐藤隆太のコンビって言ったら『海猿』のイメージが強すぎるじゃないですか。私なんて伊藤英明のファンでよく海猿のDVDについてくるようなメイキング映像とか欠かさず観るわけですよ。そうすると佐藤隆太のおちゃらけたキャラクター全開で、以後自分の中ではそのイメージが定着してしまい、捜査がうまくいかずに壁に拳骨ぶつけて声張り上げてる演技なんか観ても、なんかギャグにしか映らないのですよ。シリアスなセリフのあとに「な~んちゃって」とか言ってる佐藤隆太しか思い描けない。良くも悪くも。

ホン・カウ監督のインタビュー記事がある。イギリスの移民の問題とか、カンボジアから転々としてイギリスにやってきたという家族史のこととか、色々盛り込まれてて語り切られず。次回作も気になる。あとは「夜來香」がよかった。もう一曲中国語の曲出てきた。この記事によるとメキシコの曲の中国語カバーver.らしい。イー・ミンって歌手誰だろう?

Saturday 11 June 2016

台湾若手アーティストの映像作品『錢江衍派』について

台湾の若手アーティストの作品が展示されているというので行ってきた。テーマ『「私のふるさと南都」台湾の現代アート―国家の解体と拠り所の再建』。四人のチーム(王又平、李佳泓、黃奕捷、廖烜榛)による映像作品(全90分の映画)が試みとしておもしろい。作品名は『錢江衍派』。撮影に使用した建物の玄関にあった表札からとっているらしい。

ひまわり運動をきっかけに、自分たち(1990年代生まれ)と、その両親との間にあるジェネレーションギャップ、とりわけ社会運動への関心度やそれに参加するということに対する受け止め方の違いに気づき、両親たちの若いころはどうだったのか、なぜ彼らは80年代の台湾社会運動に加わらなかったのか、という疑問を出発点として作品が生まれた。

映像は、白色テロで入獄させられ、出所後も政治批判的な小説を書き続けた作家・施明正にまつわる出来事を脚本にし、自分たちの父親四人にそれを演じさせるというもの。政治的な事柄(あるいはのちに「台湾史」として語られる大きな出来事)に対して当時は無関心であるか、そういうものに関わる人たちを「異端者」と見なしてさえいた人が、自分でその「異端者」を演じている。父親たちは演じるうちに、脚本に書かれたこと以外の、彼ら自身の記憶をふいに語り出す。大文字の歴史と個人の歴史が交差する瞬間。施明正を演じたのは四人のうち当時警官であった父。施明正が「拷問を受けた」体験について語るシーンで、父は脚本に書かれていないはずの、自分が「拷問をした」体験からくる描写を口にしてしまう。一度も話したことのない父の記憶が、撮る/撮られる関係を通じて親子の間で共有される。それは痛みを伴うものかもしれないけれど。

誰か(特に実在の人物)を演じるというのは、その誰かが経験したであろう事柄を自身が再体験するということでもある。実際の自分との距離感があればあるほど演じるのは難しいかもしれないけど、演じることで自分からは遠いものであったはずの事柄が近く感じられたり、その人物との間に共感や共鳴のようなものが生まれたりするのではないか。演じ終えた後、父親たちはどういう思いだったのだろう。

Youtubeで予告版が観れる。

会場には四人のうち三人が来ていて、その中で22歳の女の子・廖烜榛さんと話すチャンスがあった。撮影時の雰囲気など話してくれたが、お父さんたちはもちろん演技の経験などなく、脚本も未完成のまま渡したため、一度の撮影に何時間もかかって非常にタフな作業だったという。その日は開幕式兼トークイベントだったので人の入りが多くてゆっくり鑑賞できず残念。時間を見つけてまたきちんと観たい。

『台湾とは何か』読みつつ、太陽花学運のこと思い出しつつ

二年前、台湾留学中にアメリカからきた留学生と台湾人のアイデンティティの問題についてちょろっと話をすることがあった。その留学生は「台湾人がいくら“台湾文化”だの“台湾アイデンティティ”だの言ったところで『台湾』っていう国家は存在しないのだからもう少し現実的になるべきだわ」みたいなことを言って、私はついムッっと顔をしかめてしまった。あの時は「こいつ、台湾で自分たちを台湾人だと思って生きている人々の暮らしをまるごと否定する気か?」と思って非常に憤慨し、感情的になったのだが、今になって冷静に振り返れば彼女は別にそういう意味で言っていたわけではないんだろうなと思う。ただただ現実的な考え方の人だったんだなと。彼女の言った通り、文化的なアイデンティティの選択肢としての「台湾」が存在しても、現実に国家体制としてそこにあるのは「中華民国」というもう一つの「中国」だ。彼女は、台湾の人たちはその現実を受け止めた上でもっと「中華民国」という体制を戦略的に使うべき、ってことを言っていたのかもしれない。この話と、野嶋さんが著書『台湾とは何か』の中で書いてた「天然独」の若者たちのこと、金溥聡の「中華民国は台湾の護身符です」という言葉、そして「大陸反攻を放棄し、台湾化した中華民国は、台湾の人々にとってはもはや『克服』すべき対象ではなくなりつつあるかもしれない」という野嶋さんの認識とが繋がって、色々となにかストンと腑に落ちるような思いがしたのだった。

私の友人のほとんどは1980年代後半~1990年代以降生まれの「天然独」世代である。そして彼らとの交流を起点とした私の台湾認識もまた「台湾が台湾でなくて何なのだ?」という素朴な感覚から始まっている。(細かいことを言えば、初めて台湾に行くまでは無知ゆえに台湾のことをすっかり中国だと思っていたのだが)そういうわけで、当初、台湾に出会ってから次に「中華民国」という台湾の“正式名称”を知ったときには少々頭が混乱したし、さらに「私たちは中国人じゃなくて台湾人なんだからね!」と普段から我々留学生に対して念押ししてくる友人が、10月10日に中華民国の国慶節をワイワイガヤガヤお祝いしている様子がフェイスブックのタイムラインに流れてくると余計に訳が分からなくなったりした。「台湾?中国?結局どっちなの?!」と。

その後、台湾史というものを勉強していく中で日本植民地時代を経てあやふやになった台湾の帰属問題や、中華民国の国際的社会からの孤立、中華民国「中華民国台湾化」という政治体制の緩やかな変動といった経緯を知り、また「台湾」という国を打ち立てるための台湾独立運動が燃え上がっては潰えを繰り返してきたことも知り、加えて友人たちとの交流が深まる中で、徐々にその戸惑いは薄れていった。一見矛盾してそうに見えた友人の言動も、その背景と照らしてみればそうならざるを得ないものだし、むしろ野嶋さんの言うように、台湾の友人にとって中華民国という国家体制は何も否定すべきほどのものではなく、“それが台湾を否定しない限り”受け入れていくもの、併存するものとしてある(なりつつある)のかもしれない。あと、「天然独」の世代にもグラデーションはあると思っていて、台湾は台湾だし独立して然るべきだけど中華民国の国慶節も祝うという友人もいれば、そうでない友人もいる。私が感じるところでは、前者は「台湾は台湾として独立した国だ」という皮膚感覚を持ち、台湾独立というスローガンに共鳴しつつも、現状維持志向が比較的濃厚な人たちで、グラデーションの大部分を占めている。後者は台湾独立を前向きに、具体的に実現させようと考えて行動している人たちで、グラデーションの端っこの方にいる。先の太陽花運動なんかで先導していたのはその後者の「天然独」世代たちなんだろうと大雑把にとらえている。

とはいえ、太陽花運動の話になると台湾独立 or NOTっていう二者択一を論点にしたがる人たちに対しては懐疑的で、日本での報道のされ方にも当時は随分と納得がいかなかったりした。いずれ太陽花運動のこと、あの場で見聞きしたこと、考えたことなどまとめなければと思いつつもう二年が経ってしまった。あの時ちょうど台北にいた私はまるで熱に浮かされたようにして毎晩授業が終わると片道30分バスに揺られて立法院に足を運んだのだった。私の人生(まだ26年そこそこですが)の中であんなに身体をフル稼働させた時期はなかった気がする。「いま、歴史が動いている」と本気で思っていたし、自分は幸運にもその渦中にいるとさえ。学生たちによる立法院の占拠行動が始まってすぐのころ、その出来事を自分はこんな風にとらえていた。私が立法院の前で目にしたのは、学生と市民が一致団結して自分たちの生活を守ろうと声を挙げている姿だった。この運動が結果として、台湾の人たちに台湾経済の中国への依存度を再認識させ、各々の台湾人としてのナショナルアイデンティティや、「中国ではなく台湾」という国家アイデンティティをより鮮明にさせることになったのだとしても、運動の目的は決してそこにあるのではなかった。学生の友人から聞いた話では、あの時台湾独立を訴える団体も運動に参加していたが、学生側は抗議の主張が台湾独立という問題にすり替わってしまうことを懸念して、そういう団体らには立法院から少し離れた場所で活動するようにお願いしていたらしい。

運動では、一つに、「黒箱(ブラックボックス)」の中で強行採決されたという事実の深刻さを鑑み、これを民主主義の政治体制を脅かすものであるとして抗議活動が行われた。二つには、台湾の中小企業に不利で且つ市民の暮らしを脅かすものとされる中国とのサービス貿易協定に対する反対主張が訴えられた。と、大雑把に言ってはみたものの、私があちこち話を聞きまわったりしているうちに気付いたこととして、あそこに集まっている人たちの中にはたとえば「“黒箱”には反対だけど“服貿”に反対ってわけではない」というような微妙な考えを持っている人もいた。あるいは、サービス貿易協定の是非はひとまず置いておいて、「黒箱」に抗議する=民主主義を守る(捍衛民主)ことを第一の主張とすべきであり、そうしてこそ様々な団体が本来様々な主義主張を携えて活動する中でそれらの目指すところの共通項を据えて一致団結できるのだ、と考える人もいた。実際に、立法院の周りはそういう構造になってたんじゃないかなと思う。部分集合とか集合とかの、丸がいくつかあってそれがところどころ重なっているみたいな図があるじゃないですか、ああいう感じで、蓋を開ければみんな細かな意見の対立はあるんだけども、一番大きな理想は一つで、それが民主主義を守ることだった、という。私はこんな風に感じながらあの運動に参加していたし、だからこそ共感するようなところもあり、彼らとともに熱狂したのかなと思う。

民進党が当時、立法院の周りで配っていたパンフレットの中には、確か服貿には反対だがTPPには積極的に参加していくべきだというような内容が書かれていた。一部の友人はそれを「私たちが服貿に反対していることの根元にある理由を(民進党側は)理解していない」とか「服貿はだめでTPPはOKだなんて馬鹿じゃないの?」というように批判していた。彼らが見据えている“仮想敵”は単に日ごろから彼らを悩まし続ける中国という隣人だけではなくて、中国もひっくるめて、その強権的姿勢で国内の市場を食い荒らそうとしてくる国外の大企業や資本、新自由主義の信奉者たちだった。話は多少逸れるが、こういう学生たちと日本のSEALDsに参加している学生なんかが交流すればおもしろいんでないの、とずっと思っていたので、4月に林飛帆さんと奥田さんがフィリピンであった青年交流イベントで対面することになったと知ったときには彼ら二人の互いへの反応というか、どんな話をしたのだろうかってちょっと気になった。林さんのFBの投稿にはコメントがたくさん。中には安保反対を訴えているSEALDsを批判するものも。こういう人たちは、日本の安保法制が、台湾にとって政治的な脅威である中国を牽制するための有利な策として働くと考えている。つまり日本が安保法制を備えることで、台湾も漁夫の利を得られるのであると。私にはそうは思えないけど。なんというか、中国という存在を共通の仮想敵として仲良くしましょうと考えている人たちが過剰にナショナリズムを煽って、互いにもっと協力して取り組んでいかなければならないはずの問題にともに取り組めなくなるのは、残念だなあと思う。

たまにふと、このまま中国の経済成長が続き、台湾の企業を味方につけ、経済的なパワーで台湾を囲い込んで一国二制度の名のもと統一にこぎつけたとすれば台湾や台湾の友人たちはどうなってしまうのだろうかと考えることがある。仮に台湾の人の生活や文化が保障されたとしても、もっと精神的な面での大事なもの、言ってみるなら「尊厳」というようなものが失われることに違いはないんだろうと思う。できればそうはなってほしくないけど、でもだからと言って、なにもかも中国との関係にNOを突きつけるのは違うよな、とも思う。私なんかがちょこちょこ考えるよりも、台湾の友人たちはよっぽど頭を抱え込み、日々思いめぐらせているのであろうけれども。


【追記】
SEALDsと香港、台湾の学生たちとの対談本が出てた。
『日本×香港×台湾 若者はあきらめない』(2016年6月発売)
書店で軽く立ち読みしたが、香港の学生との対談の方が分量が多く、台湾は陳為廷さんしか登場せず。私が気になっていることが書かれてあると思ったけど、他の本を買って金がなかったので購入には至らず。

Sunday 5 June 2016

台湾映画『若葉のころ』を観てきた―すべての青春に捧げられた映画

人はいつの間にか子どもから大人になるらしい。気付けば映画の鑑賞券に1800円払うようになっていた。私は今年で27になる。見た目にはよく大学生と間違われるが、一般的には大人とカテゴライズされてもおかしくない年齢である。おおよそ10年前、私は17歳であった。誰もが経験するであろう17歳は、誰かにとっては特別で、誰かにとっては何でもない一年に過ぎないかもしれない。自分にとってそれがどんなだったか、もうしばらく思い出すこともなかったので忘れた気になっていたが、今日、シネマート新宿で映画を見終わる頃には、自分にとっての“あの頃”の記憶を手繰り寄せずにはいられなかった。

映画『若葉のころ』は、17歳の少女バイと、17歳だった頃のバイの母・レイの初恋を描いた物語だ。ノスタルジーへと誘う甘美なピアノの音色。白い足をさらけ出して駆け回る少女たち。そして彼女たちをとり囲うように青々と茂る木々。スクリーンからは始終、瑞々しくてまぶしい青春の形象(イメージ)が放たれている。ビージーズの「若葉のころ」がテーマ曲で、その歌詞とメロディが映画の中で巧みに挿入される。監督は周格泰という、これまでアーティストのMV制作を数多く手がけてきた人物。酸いも甘いも経験して“大人になってしまった”二人(レイと初恋の相手・クーミン)と、手を触れることさえためらった17歳の頃の二人の手紙を読み上げる声が重なり、瞬く間に時間が巻き戻されてゆくクライマックス。そこからエンドロールにかけての音と光、スローモーション等々を駆使した映像がとりわけ美しく、そこだけでも十分作品になりそうだった。

交通事故に遭い意識が醒めない母にバイは語りかける。「誰かを好きになるって、こういうことなのかな?」バイは同じ学校の男子生徒に好意を抱いていた。だが彼女の友人もまた同じ人を好きになってしまったために、バイは胸の張り裂けるような悲しみの底に突き落とされる。多感な時期に直面する性的なものへの嫌悪感と、両親のセックスによって生まれた自分という存在の間での葛藤。17歳の純真さゆえに苦悩するバイを演じているのは現在27歳の女優・程予希である。若いころのレイと一人二役で演じているのだが、この映画の見どころは彼女の軽やかで魅力的な表情でもある。映画を観ている私まで彼女に恋をしてしまいそうである。

つい先日、現在台湾で放送中のオムニバスドラマ≪滾石愛情故事≫(ロックレコードと恋人たち)の第九話≪挪威的森林≫(ノルウェーの森)を観ていて、そこに登場したのが同じく双子の姉妹を一人二役で演じる程予希だった。親の借金を返すために援助交際をさせられている非行少女(姉)と、音楽の才能がありながらも自閉症を抱えて学校に通えず、姉と同様に体を売ることを強要されている少女(妹)。補導員として働く青年に出会い、徐々に心を開いていく妹の繊細な表情にも、むごい現実から逃れられないまま、おざなりの正義感で更生させようとしてくる青年と泣きながらぶつかり合う姉の姿にも、ぐっと惹きつけられるものがあった。次の出演作もぜひチェックしたい。

話は映画に戻る。バスケットボールのコートで一人通り雨に打たれながらシュートを打つ若き日のクーミン。そしてあの頃の記憶に触れ、思わずそのコートで大の字になるおじさんクーミン。体中に激しい雨が打ち付ける。このシーンでクーミンの体を濡らす雨粒をはじめ、友人ウェンと意中の人シェンシーとの屋上でのやり取りを見てしまったあとのバイが自分で自分にぶっかけるホースの水、17歳の少女たちがはしゃぐ雨上がりの水たまり等々、ここでは水というものがイノセントな存在に還るための媒介のような意味を持っている。バイとレイは母子で俳優も同じだから対比して見がちだが、後に退学の原因となる事件の現場に居合わせてしまったクーミンと、屋上の出来事を見てしまったバイとが経験した衝撃には似通った部分があるように思う。どちらも男女の性に関わることであるし、なんだか、そのへんのごちゃごちゃを経験することがイノセントなものとそうでないものを分かつのだと言わんばかりに描かれている気がする。(まあその通りといえばそうか)

事件のあと、クーミンはレイの家にやってきて路地で涙ながらにレイを抱きしめようとする。レイは驚いて後ずさりするが、ただならぬ様子を察してゆっくりとクーミンに近づき、抱きしめ合う。二人の影はクーリンチェの少年と少女を思い出させる。監督は日本語版パンフレットのインタビューの中でも、一番影響を受けた監督として侯孝賢と楊德昌を挙げている。少なくともこの映画は悲劇ではなく、甘くて切ない記憶の物語だが、この辺は意識して撮られているのかもしれない。(あと監督は≪戀戀風塵≫が好きだそうだ)

レイとクーミンが通う学校の屋上で、少年がラッパで羅大佑の<童年>という曲を吹いているシーンがある。続けておじさんクーミンとその悪友がバーで童年をでかい声でうたい、若い客がうるさいといって喧嘩になる。これも世代の差である。おじさんたちにとってノスタルジックな気分にさせてくれるその曲の良さは、ある世代より下の子たちにはおそらく通じない。とはいえ、最近の台湾映画やドラマでは、そういうある世代層にはどんぴしゃで懐かしくてたまらなくなるような懐古ものが受ける傾向にあるらしい。たとえば≪那些年,我們一起追的女孩≫(あの頃、君を追いかけた)、≪我的少女時代≫(私の少女時代)、≪我的自由年代≫(英題:In A Good Way)、≪1989一念間≫(英題:Back to 1989、勝手に邦題候補:1989年の君へ)などなど。どれも1980年~90年代を時代背景とする。どんなに懐かしくても過去に戻ることはできないのが常だが、1989一念間に至っては主人公の男の子が1989年にタイムスリップして産みの母の秘密を探り、時には未来を変えようとさえしてしまう。時をかける少女ならぬ時をかける青年である。そういうものを観ていて、劇中の挿入歌やファッション等々の時代背景という点ではどんぴしゃじゃない世代からも支持されることになるのは、“もう戻らぬあの頃”に対する後悔や感慨は世代を問わず共有しうるものだから。私だって、台湾で生まれ育ったわけじゃないし世代も違うけど、『若葉のころ』観ながらなんだかノスタルジックな気分になっちまいました。まだ20年そこそこの人生、されど恋の一つや二つあるもんなあ。ああ余計なこと書いてまう前に切り上げよ!とりあえずDVD出たら買うと思います。

公式サイトで予告が観れる。

そういえば、『若葉のころ』のウェン役で≪1989一念間≫の葉真真こと邵雨薇が出演していた。1989での失恋して涙するシーンが印象的で、なんてきれいに泣いてくれるんだと思ってたけど、若葉のころでも冒頭で早速泣いてるシーンがあった。おもしろいくらいきれいに涙が落ちます。

Friday 3 June 2016

万年文化部女子のわたしがボクシングを始めるとどうなるか

足首をやりました。
厳密にはボクシングというより、体力付けるために始めたジョギングでやってしまいました。今は歩くのにくるぶしの辺りから足の裏にかけてが痛く、ちょろっと腫れている。太ももの付け根から膝にかけての筋にも違和感がある。急に慣れないことをするもんじゃないですね。
あと、いままでおしゃれなランニングシューズ履いてキラキラ走ってる系女子のこと小馬鹿にしてた節があるんだが、大反省ですね。ランニングシューズは必要ですね。おしゃれかどうかは別としてもちゃんとしたランニングシューズじゃないと足に負担がかかりますね。よく分かりました。
そして最悪なタイミングこんなことになるとは思わずボクシングジムに入会してしまいました…二か月月謝無料の甘い誘い文句にやられたのです…でも二か月は通えなくても損はしないぞ!ポジティブ!!
とりあえず整形外科に行くのがいいんでしょうか。慣れない土地で病院を探すのも一苦労だな。

Tuesday 31 May 2016

ボクシング日記:走ります

ボクシングの記録。あなた一体何目指してんの?と最近よく聞かれる。わたしもよく分かりませんがとりあえず楽しいので週一くらいのペースで続けている。でも週一じゃ飽き足らずジムに通おうかと考え始めている今日この頃。そうして調べてみて分かったのは、ボクシングジムの入会費が結構高いってこと。だいたいどこも18000円とかで、二万近くする。二万か…それに加えて月謝がおよそ8000円である。二万は最初だけとしても、つい先月字幕翻訳の講座に通い始めてその費用を払うのにヒーヒー言うているというのに、これ以上臨時的な出費がかさむのは控えたい。というかいざ通うとなるとやっぱりシューズとかグローブとかいろいろ揃えたくなるだろうしますますお金がかかるよな…まじおれ何目指してんの?プロなるの?という感じになるのでボクシングジム通いの話は一旦なしにした。
でも週一のボクシングの会だけじゃ体力もつかへんし、もっと動けるようになりたいな、ということで自宅の周りをジョギングすることにした。何通りかルートを走ってみた結果、ちょうど1キロくらいになるルートを見つけたので今後はこれでいく。先週から初めて、当初は一周すらままならず、己の基礎体力のなさに悲しんだのだが、一週間経ってみると二周走れるようになっており、今週の目標は目指せ4キロ!である。人間ってすごい。ただの万年文化部女子が徐々に動ける万年文化部女子になりつつあるぞ!
ところで先日、はじめて映画『ロッキー』を観たのであった。ボクシング映画と言えばこれ、みたいなところあるし、ボクシング始めてからあのテーマ曲だけ度々脳内再生されていたので、まあとりあえず観とくか、という感じになって観た。ロッキーがラップみたいにぼそぼそと喋り続ける映画だった。よく芸人なんかが物真似しているロッキーが恋人の名を呼ぶ「エイドリアーン!!」っていう名シーンを、初めて本物がやっているのを見てこれか~!ってなったりした。以上です。

Friday 20 May 2016

ボクシング日記:バンテージを手に入れた

先日、五回目のボクシングの練習に参加した。
前回より二週間空いた分体力が落ちている気がする、やっぱり継続的に運動するのが大事なんだろうけど、仕事から帰るともうできるだけ早く飯食って寝たいという気持ちが強くて、継続的な運動する気持ちがいつも負ける。そんなだめなわたしにもかかわらず、師匠ことボクシングを教えてくれている友人が、プレゼントと言って「バンテージ」をくれたのである。

「バンテージ」ってあれです、ボクシング選手が素手にくるくる巻いてる包帯みたいなやつです。これまで練習の時に友人がなにやらくるくると手に巻き付けている様子を見ては「プロっぽい」と思ってほんのり憧れていたのですが、それが今やわたしの手にもくるくる巻かれております。拳を守るために巻くもので、ボクシングやる人は必ずつけるアイテムっぽい。早速師匠から巻き方を教わるものの、これが意外と覚えられない。手首いくかと思いきや中指と薬指の間から通したり、また手首に戻って手の甲をぐるぐるしてまた指の間…すぐにどこまでいったか分からなくなるのであった。

しかもこれ人によって巻き方が違うらしく、たとえば、第二関節から指の付け根までの拳が当たる箇所をガードするためにバンテージを折り返して重ねる際の、重ねる部分の作り方が師匠のやり方とネットで紹介されてるのとでは違った。たとえばこちらに紹介されているのは、手首から先に巻き始めて、そのまま続けて拳のあたる部分で何回か折り返して重ねるやり方。わたしが師匠に教わったのは、先に折り返し部分を作ってからそれを拳にのせて巻き始めるというやり方。これもしかして個人のセンスの見せどころでは。もちろんまずは師匠のやり方でやらせていただきますとも。

ボクシング、むずかしいなあと思っていること。
・右腕の脇のしめ方が甘くてすぐ緩む
・足のリズム感
・足→腰→腕→拳の連動

ストレートを打ったあと、脇しめるのを忘れちゃって全然ガードできてない。
足のリズム感というか、パンチ打ってる時って足がどうなってんのかあんまり意識できんくてステップが上手にとれない。そういえば昔ドラムに憧れて挑戦したときも腕と足とで違う動作をするのが無理だと気付いて一か月くらいで断念したのを思い出す。なわとびは、この足のリズム感、ステップのとり方をつかむためにやってるメニューでもあるそう。小学校のころとか体力測定でやらされた反復横跳びも、左右へ素早く移動する練習ができてよさそう。ボクシングってただ拳だけ使う運動ではないんだと気づき始めたところでさらなる課題は、足首のバネのちからを腰、腕へ伝えて拳の先で力を解放するっていう、口では言えても実際やるのがむずいやつ。
一週間経ってまた明日練習楽しみである。

Wednesday 18 May 2016

『台湾新電影時代』を観てきたけど、今まで思ってたほど侯孝賢の映画が好きでもないことに気づいた

4月下旬から新宿のK's cinemaで「台湾巨匠傑作選2016」と題して台湾ニューシネマの作品と関連する台湾映画がいくつか上映されている。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)と楊德昌(エドワード・ヤン)の作品を中心として、蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)、李安(アン・リー)、魏德聖(ウェイ・ダーション)の作品なんかが観れる。勇んで三回券を買ってあったものの、いろいろあって行きそびれていたらもう上映が終わっちゃった作品とかあって残念なのだが、幸い、一番気になっていた『台湾新電影時代』(2014年)を今日、観ることができた。これは台湾ニューシネマと呼ばれる作品群を撮った監督や映画にゆかりのある人たち、あるいはそれらに深い影響を受けた海外の映画人たちにインタビューを行い、台湾ニューシネマ再考の手掛かりにするという内容のドキュメンタリー映画だ。台湾人の謝慶鈴という監督が撮ったもので原題は《光陰的故事─台灣新電影》。インタビューを受けた人物の中には、日本からだと侯孝賢の『珈琲時光』に出演した浅野忠信や、映画監督の黒沢清、是枝裕和がいる。タイ、フランス、中国、香港といった台湾外の人たちから台湾ニューシネマがどのように観られてきたのか、ということが知れておもしろかったが、特に気になった話が一つある。

中国の映画監督王兵と楊超の二人が登場するシーンで、彼らが台湾ニューシネマの作品と、中国の第五世代の監督たちの作品とを対比させながら語っている姿がある。彼らは第五世代として張芸謀と陳凱歌を上げ、特に王兵(の方だったと思う)は陳凱歌の『覇王別姫』と侯孝賢や楊德昌らの作品とを比べて以下のような見方を話していた。曰く、『覇王別姫』は“物語”を描いた作品であって、あの映画には“台詞”しか映されていない、そこには“人”がいない。一方で、台湾ニューシネマの中には他ならぬ“生身の人間”がいると。それに対し楊超が、じゃあ覇王別姫の登場人物である蝶衣や段は人じゃないっていうのか?と半ば食い気味で問いかけつつも、確かにあの作品は歴史主義に偏りすぎている、と言う。そして、これらこそ第五世代の監督たちが直面せざるを得なかった限界である、というような。

『覇王別姫』はわたしが好きな中国映画の一つだ。まだ中国語なんて勉強したことないうちから偶然WOWOWかなんかで観たことがあって、当時、海外の映画=ハリウッド映画だった高校生のわたしの映画観がバッコーンと打ち砕かれたような経験をした覚えがある。何度観ても飽きず、いまだに泣きながら観てる気がする。泣けるから良いって言いたいわけじゃないし、むしろ最近映画とか小説の広告でよくある「これは泣ける!」みたいな謳い文句はむしろ嫌いだし、できれば感情の安売りはしたくないんだが。ともあれ、好きな映画だったし、わたしには登場人物がいつでも“生身の人間”として迫ってくるように思えてたから、王兵の言ってたことってどういうことやねんろ、と気になった。言うまでもないが覇王別姫は歴史ドラマだ。民国政府時代、抗日戦争、国共内戦、中華人民共和国の成立、文化大革命というように、歴史の教科書に出てくる時代区分できれいに切り分けることができるように場面も移り変わる。それが中国という土地の近現代史を主題にしていることが一目で分かる。社会情勢が変わり、京劇とその役者たちも時代の波にあっちゃこっちゃへと流される。たしかに、そう考えたら人物はでっかい歴史を語るための駒のような扱われ方されててかわいそうかも。

6本の指をもって生まれた蝶衣が、母親にその6本目の指を切られて劇団に預けられたことは、後から考えれば彼が女形の役者として生きていく道を選ぶことを象徴的に示すための“去勢”の儀式に思える。でも彼の指を切ったのはあくまで産みの母親の意思であって、そこには自身の力では抗いようのない、生まれながらにして背負わされた「宿命」のようなものがあることを感じさせる。それこそ覇王別姫に登場する人々を逃れようのない結末に向かわせるものの正体であって、その悲哀が観ている者の胸を打ち、時に涙させる。

アヘン絶ちをしようとして発作に苦しんでいる蝶衣を菊仙が抱えてあげるシーンが特に好きである。蝶衣は自分を棄てた母親のことが忘れられないらしく、うわごとで母を呼びながら寒い寒いと言う。それを菊仙が抱きかかえるようにして布団かなんかを巻いてあたたかくしてあげようとする。流産して母親になれなかった菊仙が、まるで母親になったように蝶衣を我が子のようにして抱いている。ずっといがみあっていた二人がこのシーンだけでは互いを求めあっているかのようにも見える。菊仙は女郎上がりなので蝶衣の実の母とも共通点があるし、本来ならこの二人は、自分が必要としながらも欠いているなにかを補いあうことのできる者同士なのでは?この二人実は仲良くなれるのでは?という気持ちになる。でも二人の間には段という男がいて、段をめぐって敵対が続くんだな。

「覇王別姫には台詞しか映されてない」の意味を理解したくて作品をまた観てみたが、ぐいぐい映画の世界にもってかれて、本題を忘れていた。そうなってふと思ったのは、侯孝賢の映画やったらあんまりこうはならへんよな、ってことだった。最新作の『黒衣の刺客』なんて、もはや映像を観ているというより、とことん区切られた細切れの絵か写真かを連続的に観せられているようで、一つ一つの画面を切り取ると、それは絵のように味があっていいのかもしれないんだけど、映画として観るとわたしにはどうしても退屈だった。ドキュメンタリーのインタビューの中でタイの映画監督が、侯孝賢の映画は眠くなるって言ってたけど「ほんまそれやで!」って思ったのは台湾映画好きな人でもわたしだけじゃないはず。そうこう考えていてふと気づくのは、自分が自分で思っている以上に映画に対してドラマ性を求めてるってことだ。だから結局、侯孝賢よりも楊德昌の作品の方が好きなんだよなおれは。芸術性とかじゃなくて好みの話です。楊德昌の『カップルズ』が好きでDVDを手に入れたいとずっと思っているんだが、アマゾンで観ても中古が数万とかで目が飛び出そうになった。今回の台湾映画イベントでも上映作品にも入っておらず残念極まりない。版権の問題とかややこしいことになってるんだろうな…。個人的にはあの映画は張震がみじめに泣く羽目になるところが見どころやと思っています(なんて意地の悪い)。

なんか台湾映画の話するはずやったのにほとんど覇王別姫の話になってるやんな。

あと、細かいことを言うのですが、字幕で「本省人」を「内省人」と間違えていたり(冒頭で詫びられてた)、林懐民のインタビューの中で彼が「郷土文学」と言っていたのを「国民文学」としていたりというのが気になっちゃいました。内省人なんていう凡ミスはともかくとして、限られた文字数の中で台湾にさほど詳しくない観客にも分かりやすく違和感なく観てもらうために字幕を考えるのはめちゃムズカシイことなんだって、最近字幕翻訳の勉強してて日々感じるんだけども、改めて痛感した。「郷土文学」って言われても、台湾文学をかじったことがなければパッとイメージできないだろう、ってことで「国民文学」になったんだろうか。でもむしろ、「国民」って言葉から短絡的にイメージされるものって、郷土文学と呼ばれてる作品の中身からはかなり遠い気がするんだけど。中華民国の文脈への帰属意識から書かれたものではないし、総じて農村の暮らしだったり、低層の人々だったりにスポットを当てて、台湾というふるさとに根差した人々の生活が書かれた小説と理解しているので、郷土文学のままでいいんじゃないかと思ったりしたんだが。なんで「国民文学」にしたのか字幕翻訳者さんにたずねてみたいです。

Monday 9 May 2016

時空を超えた父親探しの旅≪1989一念間≫の話

台湾ドラマ≪1989一念間≫がヤバイ。
先シーズン、三立テレビ(三立都會台)の日曜夜10時放送枠(日本だと11時)の作品≪愛上哥們≫にハマって、この時間帯のドラマはだいたいラブコメ要素が強くて気楽に観れていいなあと思っていた。今シーズンのご存じアーロンが出演している≪後菜鳥的燦爛時代≫もザ・アイドルドラマという感じで、あからさまな胸キュン要素がたっぷり詰まっており、そういうのが好きな人はたまらんのだろうな、おれは白目だけど。とかなんとか考えながら観ていた(それでも観る)。
とはいえこれだけじゃあなんかつまらんな、他のも観てみよう、と思い立ち(暇人か)、日本植民地時代を生きた画家たちを題材にした歴史ドラマ≪紫色大稻埕≫に手を出してみるも、なんか刺激が足りず、懲りずに他のも観てみようってことで何となく選んだのが≪1989一念間≫という作品。以下、導入部分をさらっと紹介。

第一話の冒頭、いきなり上裸でプールに飛び込むのが主人公・陳澈。26歳の若さで投資信託会社の次長を務める、一見して勝ち組系のさわやかプチマッチョイケメンである。顧客との契約ではリスクを回避できるよう機転を利かせ、会社を危機からさらっと救い、よその会社からもヘッドハンティングされるほどの優秀ぶり。ところが彼には“父親がいない”というコンプレックスがあった。
母からの電話を受け、病院に駆け込んだ先には、認知症を患い階段から転げ落ちたという祖父の姿があった。目の前のものと頭の中の記憶の区別が定まらなくなってしまった祖父は、謎めいたうわごとをしゃべり出す。
―「もうすぐクリスマスだ」「行かないと」「いや、もう過ぎたんだ」「李進勤を呼んで来い」「あいつが責任をとるんだ」「いやそうじゃない」「雅娟は会いたくないと言ってる」「この子を産むと言ってる」「すまないと思ってるんだ」「お前と李進勤を引き離すべきじゃなかった」「お前を許してやればよかったと母さんが」「一人で阿澈を」「母さんは後悔してるんだ」―
陳澈は過去に幾度か母に対して父親のことを尋ねたことがあったが、そのたびに鋭い剣幕で遮られ、何一つ答えを得られることはなかった。祖父が口にした“李進勤”という男の名は、自分の実の父親のことではないのか。今一度母に問いただすも「父親は死んだ」の一点張り。感情的になった母はつい「これ以上この話を続けるようならもう顔も見たくない」と怒鳴りつけてしまう。息子も息子で「どうせ父親がいないんだから母親がもう一人いなくなっても同じこと」と言い返してその場を後にする。
バイクを飛ばしながら、母と祖父の言葉を反芻して色んな憶測をめぐらす陳澈。生憎の雨で、激しい雷まで鳴り始めた。バイクがトンネルに入り、陳澈のいら立ちがいまにも爆発しそうなころ、不意に目の前にまぶしい光が射し、陳澈はバイクごと転倒してしまう。
どれだけ気を失っていたか、目が覚めてみるとバイクが消えていて、激しかった雨も止んでいる。通りがかった女の子に携帯を借りようとするも「携帯?なにそれ?」とトンチンカンな反応をされる始末。みんなヘルメットをかぶらずバイクに乗っているし、見慣れない住所に見慣れないアイドルの写真。VISAカードもまだ使えない?!「あんた、外国から来たんでしょ!」と言われてついに「まさか…」と恐る恐るたずねる「今年って、民国何年ですか?」
そう、陳澈はまさかまさかの過去にタイムスリップしてしまったのです(どーん)
しかもそこは民国78年=1989年。陳澈が生まれる一年前。そこで出会った先ほどの女の子がなんと実の母親の大親友・葉真真だった。そして陳澈は、まだ22歳のころの母に対面する。


と、さらっと紹介するはずだったのが妙に長くなってしまった。冒頭のシーンでありきたりなアイドルドラマかと思わせておいて、急に意味深なセリフ、そしてまさかのタイムスリップ。まあ、タイトルに1989ってあるんでよくよく考えたらそうなるよな~1989年に行っちゃうよな~て感じなんですが、過去にさかのぼって自分を産む前の母に出会い、そこから自身の出生の秘密を探っていくという、ちょっとスリリングな話なんです。
いま台湾では14話まで放送されていて、だいたい20話で完結というのが多いのでそう考えると約4分の3行ってますが、父親が誰なのかという問いの決定的な答えが出ていません。かなり引っ張ります。ただ、13、14話辺りがかなり鍵というか、ほとんど核心に近づいている。それでもまだ真相に靄がかかったままで、イーッってなります。
物語の主軸にはもちろん、陳澈が1989年にタイムスリップして自身の出生の謎を解き、頑なに話そうとしない母の秘密の過去を知っていくというのがあるんですが、同時に1989年で出会った母の親友・葉真真との時空を超えた恋ってのももう一つの軸です。

タイトルにある、「一念間」という言葉を解釈するのが難しいなあと思いつつ調べていたんだが、もともと「一念」は仏教用語で「きわめて短い時間や、その短い時間に生じる、わずかな心の動き」を意味しているんだそうです(星飛雄馬『45分でわかる!数字で学ぶ仏教語。』p.8)。つまりその「一念」と「一念」の間、一瞬の時間、感情の変化を意味しているようです。これは物語と深くつながってるキーワードなんだと思います。過去にタイムスリップした陳澈は、自分自身が「バタフライ・エフェクト」を起こしてしまうという問題に向き合う必要があった。彼が一瞬の心の動きによって起こす些細な行動が、未来をどうにでも変えてしまう。葉真真を好きになっちゃうのか、好きだと認めちゃうのか、それとも黙っているのか。もちろん葉真真や陳澈のお母さんも、知らないうちにその「一念間」を生きている。それに、たとえ葉真真を好きになっても、いずれ2016年に戻らないといけない(ほんまに戻るんかな)陳澈にとって、その恋にはすぐに別れがくる。あとは2016年と1989年っていう26年間を一瞬でタイムスリップしちゃったっていうこととも掛けてるんかなと思います。これ日本語タイトルにするの難しそう。わたしなら思い切って意訳して『1989年の君へ』とか、『1989年―刹那の恋』。「刹那」てこれも仏教用語では。刹那って言うとなんか強そう。
何話だったか忘れちゃったんだけど、陳澈がセリフの中で「一念間」という言葉を使っていて、なんかかっこいい感じのセリフを言ってた気がするんだけど…思い出せなくてもやもやしてます。見返して探すのも面倒なのでとりあえず放置。


思いのほか長いこと書いてしまったけど、言いたかったのは≪1989一念間≫おもろいよ!っていう。胸キュンシーン的なもの長くてとばして観たりしちゃうけど全体としてはなかなかだよ、っていうお話でした。


【追記】
陳澈の言ってたセリフ、そのシーンから抜き出してきたのでメモ。

  我們不知道下一秒會發生什麼
  只能把握現在
  做出將來不會後悔的選擇
  而將來會如何
  就在你的一念之間

  先のことは分からない
  後悔しないよう
  今を生きるだけだ
  未来は
  この一瞬にかかってる

こうやって訳してみるとそんな決めまくったセリフに見えないな…わたしの力不足。

Monday 25 April 2016

万年文化部女子のわたしがボクシングを始めた話②

この記事は万年文化部女子のわたしがボクシングを始めた話①の続きであります。
タイトルの通り、かくかくしかじかでボクシングを始めることになったわたし。昨日は四回目の練習で、今日はすっかり筋肉痛。四回目になるのにいまだに筋肉痛になってしまうのは、次の練習までに日が空いてしまうためと、普段あんまり運動をしないためだと思われます。急に体を酷使するのも良くないな、と思い始めてなわとびを始めたのですが、ダ○ソーで買ったなわとび二本のうち一本は一回まわしただけで持ち手のプラスチックが破損しました。さすが。ハズレに当たったってことにしとこう。

なぜボクシングを始めたかについては前記事の通り。ここでは、万年文化部女子がボクシングを始めたらどうなるのか、について、今の時点での報告をしたいと思う。



どうなるその1:筋肉痛になる

冒頭ですでに言っちゃったけど、翌朝には肩甲骨あたりから腰のちょっと上にかけて全体的に筋肉痛になります。腰を曲げたり、かがんだりする動作の時にスローモーションになります。ジャブやストレートを打つとき、ただ腕の力で拳を振るのではなくて、腰の回転を使って上半身を勢いよく振ることで拳を相手にぶつけるため、背中や肩の辺りの筋肉も使うことになるのです。もちろん二の腕なんかも筋肉痛。今日に限っては肘から下の前腕部も筋肉痛です。そしてひどいときはふくらはぎがやられました。これはトレーニングの中に三分間なわとびを跳び続けるっていうのがあるからです。こうなると、どういう動きをする時にどこの筋肉を使うのかってのが分かっておもしろい。練習はだいたい土日のどちらかにあるので、月曜日に出社する頃には決まって筋肉痛。隣の席のお姉さまに「今日筋肉痛なんですよ~」と言うのも四回目になります。だいたい水曜日あたりから楽になって、木曜、金曜と通常の感覚に戻っていく。今後はいちいち筋肉痛になるのを防ぐため、より入念にストレッチをしつつ、家でもなわとびやるなりなんなりして、体を慣らしてあげないと、と思ってます。


どうなるその2:筋肉がつく

ちなみにわたしのボクシングを始める前の体形について言っておくと、身長158センチ、体重39キロの貧相な痩せ型体形でありました。26歳にしてこれです。老婆になる頃にはもう骨と皮しか残ってないのでは、と自他ともに心配してしまうほどのガリガリ具合です。いわゆる太れない体質で、胃腸が弱いためにすでに三回も胃カメラの経験があります。そんなんで激しい運動して大丈夫なんか?とよく言われますが、意外と大丈夫です。むしろ、ボクシングを始めて、普段から運動するよう心掛けるようになってから、今までより食欲が出るようになって、精神的にもリフレッシュできるようになった気がします。プラス効果です。
ボクシング四回目にしてのわたしの体重は今のところ変化なく39キロのまま。ただ、二の腕に変化が見られ始めました。よくマッチョなお兄さんがここぞとばかりに肘を曲げて見せつけてくる上腕二頭筋の部分が、心なしかこんもりしてきたのであります。軽く肘を曲げてみると、以前は平地然としていたところに、工事用の砂が積まれ始めたようです。筋肉フェチでもなんでもないけど、26年間生きてきて一度たりとも凹凸のなかった二の腕に凸が表れ始めると、人間どうしてもそわそわせずにはいられません。そして不思議と、「もっと欲しい!」と思うようになってしまいました。筋肉恐ろしや。この調子で鍛えていきたいです。


どうなるその3:職場で話題になる

これは職場に限ったことではないでしょうが、見た目がガリガリで運動しそうにないタイプのわたしが「最近ボクシングはじめたんですよね~」なんて言うと、結構みなさん興味を持って話を聞いてくださる。「うそでしょ」とか「腕折れるやろ」とか言われることが多いけど「わたしもやってみた~い!」という女子が現れることもある。そういう方は次の練習にお誘いしたりしてます。そもそも、ボクシング始めたとはいえ、ボクシングジムに入会したわけではなく、ボクシング経験者の友人が定期的に開催してるボクシングの会に参加させてもらっているので、興味のある友人を連れて行ったりだとか、融通が利きます。いつもボクシングジムを二時間貸切ってトレーニングしてて、参加費は一人800円くらいです。
今日も職場のおじさまとボクシングの話になり、「確かに護身用にいいかもしれないね」とか「気に入らない人でもいるの?」とか言われたりなどしました。「いつか気に入らない人が現れた時のために鍛えてます!!!」と元気よく答えたところ、冗談のつもりだったのにポカンとされました。冗談ムズカシイ。


どうなるその4:恋人と喧嘩したときにファイティングポーズをとると彼がちょっと黙り込む

上記の通りです。



いろいろとメリットずくめですね。今のところ、筋肉痛以外にデメリットは思い浮かびません。よく、ボクシングはダイエットにいいって言われたりしてますが、実際になわとび、シャドー、バック打ち、ミット打ち、マスボクシングとやっていくと、二時間でもかなりの運動量だというのが分かります。三分動いて一分休んで、というのを繰り返すのだけど、たった三分が長い長い!三分間サンドバックを打ち続けるバック打ちが特にきつい。けれど終わる頃には不思議な爽快感が。

いつも借りるボクシングジムの方が、「楽しむことが一番だよ」とおっしゃっていて、わたしも今は超楽しんでやってるので、このまま続けばいいなあーと思っております。そんでなにより、こんな運動オンチを参加させてくれた、毎回ボクシングの会を開催してくれている友人に感謝。

Sunday 24 April 2016

万年文化部女子のわたしがボクシングを始めた話①

タイトルの通り、二か月前から月に1、2回のペースでボクシングをやるようになって、今日で4回目になる。学生時代にずっとボクシングをやっていた友人が、趣味で定期的に開いているボクシングの会に参加させてもらっている。このわたし、これまで部活はずっと合唱部、大学でもアカペラサークルで、肺活量が必要になるからといってランニングや腹筋・背筋をさせられたことはあるものの、撫でるレベルでしかなかった万年文化部女子である。スポーツは体育の授業で軽くやる程度で、唯一卓球は好きで台湾留学中に週一でやっていたこともあり、マイラケットも持っているが、とはいえ基本的には運動する習慣がなく、ここ数年は確実に運動不足の状態で体力が落ちている。じゃあどうしてボクシングなんて激しいスポーツをしようと考えたのか、という話です。

きっかけは安藤サクラ主演の映画『百円の恋』。冒頭、緩み切った横腹をボリボリ書きながらスナック菓子を片手にテレビゲームをしているのが、安藤サクラ演じる主人公の「一子」である。昼夜逆転のニート生活を続けていた一子は、映画が終わるころには見違えるように引き締まった身体で女子ボクサーとしてリングの上に立っている。簡単に言うと、その変貌ぶりと野良犬精神に胸を打たれて「おれもボクシングやってみてえ!」となったのだが、そこまでわたしを駆り立てさせたこの映画について先に少し紹介したい。(ネタばれします)

たるみボディだった一子が筋肉質な健康ボディを手に入れるまで、一体彼女に何があったのか。この映画は、間違っても干物女子がダイエットに成功してキラキラ系女子の仲間入りをし、イケメン彼氏をゲットするみたいな薄っぺらいラブコメものではない。一子を見かねた姉と喧嘩して家を飛び出し、一人暮らしと百円スーパ―での夜勤バイトを始めた一子は、そこで一癖も二癖もある人たちに出会う。うつ病を患って辞めた元店長、無駄話の多い同僚の下衆おやじ、傲慢で事あるごとに小言を吐く新店長、毎晩廃棄商品を盗みに来る元店員の女。彼らはみな、何か個人的な問題を抱えているがために、社会から疎外されたり、他人と円滑なコミュニケーションができずにいたりする人たちだ。そしてきっとそのことに自分自身気づかずにいるか、認められずにいるか、あるいはもうすべて受け入れて片隅に生きている。一子もまた、自堕落な生活から抜け出せずにいた、三十路過ぎのいわば「負け犬」女である。

バイトの帰り道、通りかかったボクシングジムの前で、熱心にトレーニングする男の姿に見入ってしまった一子。その男は時折百円スーパーにやたらとバナナばかり買いに来るが、彼も一子の存在を意識するようになり、自身の現役最後の試合に見に来るようにと一子にチケットを渡す。男は試合に負け、ジムからも姿を消してしまう。様子を見に来た一子を見学希望者と勘違いしたジムのおじさんの計らいで、思いがけずボクシングを始めることになってしまった一子。そして男と再開し、あれよあれよと大人の関係に発展するが、そのうち男はまた別の女のもとへ行ってしまう。

一子の過去について、映画の中では取り立てて触れられてはいないが、32歳の彼女に恋愛経験がほとんどないということが想像できる。男とのデートに行く日、わざわざ買い足した下着を身に付けて鏡の前に立っている一子はいじらしくもあるが、パンツのゴムにお腹の肉が乗っかっていてなんとなくみじめである。普段だぼだぼのTシャツにジャージという格好の彼女が、男と会う時だけは花柄のゆったりとしたワンピースを着ている。言わずもがな、一子は男に恋して淡い期待を抱いていたわけだが、悲惨なことに、試合を見に行った帰り道、一緒に来ていた下衆親父にホテルへ連れ込まれてレイプされてしまう。それが一子の初体験だった。

ニートになってしまう前にも、おそらく一子にはなにか挫折のような経験があり、そのたびに逃げ腰で負けを認め、実家の散らかった狭い自室へと滑り落ちることになったのだろう。男との微妙な関係が始まって一緒に暮らすようになり、ささやかな幸せを感じた一子だったが、男はほいほいと色っぽい姉ちゃんについていき、一子は再び一人暮らしの部屋にとり残される。欲望のはけ口にされ、好きな男にも捨てられてしまった“野良犬”一子は、文字通り切歯扼腕してボクシングのトレーニングにのめり込んでいく。女子プロボクサーとして試合をするには試験に通らなければならないが、その年齢制限が32歳。一子にとってはラストチャンスだった。見事合格した一子がリングに上がったとき、相手のするどいパンチを何度も喰らい、倒れ込み、それでも必死に立ち上がり、しがみついていこうとする姿を見れば、だれでも胸を打たれずにはいられないだろう。「一度でいいから勝ってみたかった」と嗚咽ながらに声を上げる一子は、結局のところみじめな負け犬なのかもしれないが、こんなに逞しい負け犬をわたしは今まで見たことがないと思う。無我夢中で自分にとっての人生の底辺から這い上がろうとした一子は、わたしがこれまで観たどんなヒロインよりもかっこよくて、美しくて、逞しかった。

そんなこんなでわたしは、この映画に、一子に影響されて、ボクシングを始めたのであります。ざっと書いて映画の話だけで長くなってしまったので、実際にボクシングをやっててどうのこうのの話はまた次に分けて書こうと思います。




Tuesday 16 February 2016

アマゾンプライムを活用して『ロンドン・ブルーバード』を観る

あれおかしいな、昨日夜中にアマゾンで注文した品物が既に今日届いちゃってるぞ、おかしいな早いな、と思ってたらいつの間にかアマゾンプライムに加入していたせいだったので(無料体験30日間過ぎた後退会するの忘れてた)、これはもう最大限活用してやるしかない!と思って隙あらば無料で動画を観ている。

『ロンドン・ブルバード-LAST BODYGUARD-』は、大好きなキーラ・ナイトレイが出ていたので気になって観た。私が映画を選ぶとき、大方の基準は誰が出演しているか、という点に委ねられている気がする。解説には「良質なフィルム・ノワール」とあったが、何が良質で何が良質でないのか分からない私にはピンとこない説明だった。暴力沙汰で数年間刑務所に入っていた男が、出所してもう二度とそっちの筋と関わらずに生きてゆくことを願うも、腐れ縁の友人に借金取りの仕事を手伝わされたりしているうちにギャングのボスに気に入られてしまい、俺んとここいよ!と執拗に迫られる。男の方は、運よくかなんなのか、たまたま知り合った女から、四六時中パパラッチに追い回され部屋に閉じこもっている有名女優の護衛のような仕事を紹介され、女優の屋敷に通うようになる。

これが「良質なフィルム・ノワール」だというのなら、それは裏社会から足を払って(そもそも元からマフィアというわけじゃなかったみたいだけど)人生をやり直すことを強く望んでいる人間が、徹底して闇から逃れられない運命をたどるからか、ごく平凡な、むしろ希望に満ちている暮らしのなかにひそむ闇を(団地のスターであるサッカー少年がホームレス殺しの犯人であるなど)、ストーリーの中に巧妙に盛り込んでいるからか。でも主人公の元にまったく光が射さなかったわけではない。彼は彼がそれまで歩んできた人生からは程遠い存在に思えるような美しく魅力的な女性と恋に落ちる。彼女の存在こそが、闇に射す一筋の光だった。漆黒の闇の中にも光が射しこむこと、そしてその光は、どんなにあがいても掴めないものであること、というのが、「良質なフィルム・ノワール」の条件なんじゃないかなと思われる次第です。

オデッセイは結構いい映画だった

先日、恋人が『オデッセイ』を観に行くというので、連れられて私も映画館に足を運んだ(以下ネタバレあり)。主演のマット・デイモンといえば私の中では『ボーン・アイデンティティ』の謎めいたマッチョ、ジェイソン・ボーンか、そうでなければ『ディパーテッド』の警官になったマフィアの回し者(『無間道』で言うところのアンディ・ラウ)の役柄が印象強く、そのほかの出演作があんまり思い出せない…。どっちもシリアスなアクションもので、何重にも裏がありそうないつ死んでもおかしくない役柄を演じてたので、火星で一人取り残されたとなってはもう、謎の宇宙生命体に遭遇して命からがら逃げ切ったかと思いきや食糧尽きて窒息か爆発で死ぬっていう悲劇の結末以外考えられそうになかった。実際はまったくもって違った。

誰かは、“希望にあふれた映画”だった、というかもしれない。分からんでもない。それは単に、最先端の科学技術が結集された宇宙開発の現在をリアルに目の当たりにしたからだけではない。むしろ、科学技術などもはやアテにできないような絶体絶命の状況下で、生きぬくことを諦めずに生きぬいた人間の並外れた精神力と知力を見せつけられたからだ。主人公ワトニーが自叙伝を書くなら、その本の中にはどこかに必ずこう書かれているはず。

「今自分がどんな状況に置かれていて、どんな問題があって、どうやってそれを解決するのか、自分の頭だけで考えることだ」

まあでも、希望がどうのこうのというのはちょいと美化しすぎなようで、首のあたりがこそばゆくなる。ただ、なにがあっても最後に生き残れるのは、冷静な判断力と現実を笑い飛ばせるユーモアを兼ね備えた人間なんだと言うことがよくわかった。あと植物学の知識はあった方がいい。ちなみに恋人は開始15分で泣いたらしい、どんなお涙頂戴映画を観ても涙ひとつこぼさないのに。私はというと、後半で中国の宇宙開発局(中国国家航天局)が出てきてNASAに救いの手を差し伸べるあたりから、アメリカと中国が仲良く手を結んで宇宙飛行士を、いや全世界、全宇宙を救う!みたいなアメリカにとっての理想像がにじみ出ちゃっている気がして、「上手に世相を反映させてんな」としか考えられなくなっていました。いや、いい映画でしたよ。火星でも生き残れるように、まずはじゃがいもの栽培からかな。

Thursday 11 February 2016

《我的少女時代》感想

本当は最近ハマってる台湾ドラマ《愛上哥們》で主役やってる女優さん賴雅妍の出演映画《等一個人咖啡》が観たいのだけど、ネット上で見られるものが見つからない。この映画で主演してるのが宋芸樺という1992年生まれの若い女優さん(年齢的には自分と3歳しか離れてないのだが80年代と90年代じゃ月とすっぽんくらい違う気がして)。で、彼女が主演した最新作で《我的少女時代》(私たちの青春)というのがたまたまネットで観ることができたので代わりに観てみた。簡体字字幕だったけど。

サービス残業で上司にこき使われ、恋人との関係もなんだかうまくいっていない様子の主人公が、あのころの自分が今の自分を見たら…なんてことを考えて、学生時代のことを思い返すところから物語が始まる。主人公の林真心が女子高校生だったころ。友達と好きなアイドル、スターの話をしては盛り上がり、旦那様だ王子様だなんだと言っては胸をときめかせていた。彼女もそういう“恋する乙女”のひとりで、香港のスター、アンディ・ラウの大ファンだった。実は校内にも憧れの王子様がいる林真心は、ひょんなことからその王子様とは正反対のタイプの不良男子と友達になる。互いの恋路に協力することで意気投合した二人は、なんだかんだで意中の人に接近するのだが、だんだんそれぞれの心の中にある互いに対する特別な感情に気付き始めるのだった…

ってなわけでいわゆる青春モノですけれども、台湾映画はこういうのんがほんと得意だなーというか、むしろ『あの頃、君を追いかけた』に始まり昨今は一際そういう路線のものが多いような気がしている。たぶん台湾大衆からのウケがいいからだと思うけど。それで私もまたこういうのは嫌いじゃないので観てしまうし楽しめる。一番胸アツだったのは挿入歌に鳳飛飛の『追夢人』が流れたことで、ああ、やっぱこの曲が流れたとして、一定数の観客が青春時代を連想できるほどには、時代の代表作だったのだな、と感じた。もちろん最後に憧れの大スターが登場してしまうところも「まじかよ」と思ったし、監督の本気度が垣間見れた気がしてよかった。そこに至るまでの、青春時代のほろ苦い思い出もまた噛むほどに味が出るような切なさがあってよい。観終わって何が得られるわけでもないが、こういうのがないと、台湾映画は楽しくないな、と思う。

俺のハン・ソロ

今年はいっぱい映画を観るぞ!と意気込んだので、その分感想とか簡単でもいいから記録を残していきたい。ネタバレはします!

2016年入って最初に観たのはなんといっても『スター・ウォーズ』だった。大学時代に初めて観て、なぜか友人宅で徹夜のぶっ通しで全エピソードを観破した思い出がある。今思えば無茶だったし、エピソード1のレースのシーンなんかは、どうせなんだかんだで優勝すんねやろ、と思って途中から寝てたと思う。でも世界中のスター・ウォーズファンが魅了されたように、私もこの作品が好きになった。矮小な銀河の片隅にしか生きていない私からすればとてつもないスケールの物語なのに、そのいずれにもちっぽけな人間臭さがにじみ出ていて、アナキンのことを嫌いになんてなれなかったし、エピソード3でオビ=ワンと決闘するシーンは、英語のセリフを言えるようになるくらい何度も観た。血生臭くて愚かで、自分でもコントロールの効かない荒くれ者の感情を抱えている人間をみることが大好きだ。

そして待望の待望の待望の新作エピソード7がいざ公開されて、私はそれを観るまでに一か月の間を置いた。とりあえず旧作を見直して復習したかったからなんだけど、結局エピソード4、5、6だけ観て我慢できず劇場に足を運んだ。結論から言えば、1~3は復習しなくても全然問題なかったなという感じ。直接つながるのは4からの物語だったから。新作で改めて実感したのは、スター・ウォーズの根底にあるのは意思疎通の足りない親子関係とこじれた師弟関係だってこと。相方には「えっいまさら?!」って言われたけど、まあ、昔はあんまり構図的に観てなかったんだよね。宇宙を股にかけている冒険ストーリーとしてのわくわく感とか登場人物の個々の感情の動きとか、そういうのが好きだった。映画の続編を撮り続けていくのって、ストーリーにせよ演出にせよ、パターン化してしまう(させてしまう)ってのはすごいリスキーな賭けだと思うの。で、7作目のスター・ウォーズは、基本的な構図を結局踏襲している。ルークは弟子となったハン・ソロの息子(ベン/カイロ・レン)との間に信頼関係を築けず、カイロ・レンは自分の祖父であるアナキン、あろうことかダースベイダーver.を過剰に崇拝して、それに及ばぬ自身の弱さに憤りつつ、むしろそのことを、もともとフォースをもたない実の父ハン・ソロのせいにしてしまっているようにも見える。だから、自身のルーツに望みをかけながら、実の父の存在との間で葛藤している。それはもう、どちらかの存在をバッサリ切ってしまうことでしか解決しないわけですね、分かります。その気持ちは分からんではないが、私の大好きな大好きな大好きな大好きな大好きなハン・ソロをあんな目に遭わせたお前を俺は絶対に許さないぞ、という思いを胸に映画館をあとにした私でした。

Wednesday 10 February 2016

愛上哥們を観ている

台湾ドラマ『愛上哥們』(日本語にするなら「アニキに恋して」みたいなとこか?)にハマってしまった。昨年末から台湾の三立テレビで放送されていて、あと二話で完結するところ。字幕版やら吹き替え版やらの映像が日本に届くのを待たずして、インターネットを駆使して鑑賞できる時代に生まれてよかったです。こういう時に外国語をそこそこ理解できるとラッキーである。

簡単にあらすじをまとめると、訳あって幼いころから男として生きてこなければならなかった女の子が、ヤクザの若い親分でテーマパークを運営する事業家でもある青年を偶然助け、その活躍が買われて兄弟分の契りを交わすことになり、あれやこれやで親分となんかいい感じになっちゃいそうだけど26歳になるまで女だとバレてはいけないからがんばって隠しながらいい感じになる、というもの。まあ、台湾ドラマにはありがちな無茶感のあるストーリーなんですね。このドラマが始まる前のシーズンのドラマをネットで観ていて、ああ次はこんなんあるんだな、くらいにしか思ってなかったんだけれども、台湾の友人に最近のおすすめのドラマはないかと尋ねたら、このドラマが台湾で大人気になっていると言うもんだから、どんなもんだと気になって観てみたのです。で、いざ観はじめるとなんかやっぱ無茶な雰囲気漂ってるなー飽きるかなーと当初は感じたんだけど、なんだかんだで現地の最新の放送回分まできっちり追いついちゃった。とはいえ惰性で観続けてきたわけではなく、結構おもしろくて裏話映像をyoutubeで探してみてしまうほどなんだが、そこまでハマった理由を考えてみると二つ三つはある気がする。

一つには、設定が無茶なのでそのほかの多少の違和感は観ているうちに受け入れてしまう、ということがある。訳あって自分の性別を偽らねばならなくなった理由というのがそもそも大袈裟だし、物語の前提である“同性愛者ではないが男だと偽らねばならない女”っていう設定がすでにぶっとんでいる(ドラマではよくあるけど)。だから、それ以外の「ん?」「それはありえんやろ!」みたいなのは次第にどうでもよくなってくるところがある。観ているうちにストーリー上で感じる「ん?」はそれなりに受け入れてしまった。もちろん、コメディとしての演出だったり監督の撮り方だったりに工夫がされているからこそ、無茶のある設定でもサムくないドラマに仕上がっているのだと思います。

二つ目には、一番の理由はこれなんだが、男として生きている琵亞諾を演じる女優さんがなかなかいい演技をするので、それが見逃せないということ。調べてみたら、この賴雅妍という女優さんは2014年に『等一個人咖啡』という映画の中ですでに短髪の男性的な役柄を演じたことがあって、そこではレズビアンの女性という設定だった。実際、男性俳優と並んでも見劣りしないくらいの背の高さがあって、『愛上哥們』のなかではキスシーンでの見栄えをよくするために撮影時の立つ位置を工夫したりして相手役の男性との身長差をこっそり演出しているくらい。その上、小顔の整った顔立ちと来てはまさに草食系のイケメン男子さながら。つまり、容姿が役柄にしっくりはまっている。声はさすがに無理があるんじゃないかと思っていたのだが、慣れとは恐ろしいもので、回を追うごとに全然気にならなくなった。男女の恋愛物語をみてるのか、同性愛の恋愛物語なのか、はて?となることもしばしば。実に、この女優さんははまり役を見つけたな~と。もし自分が同じ職業の人間なら相当うらやましく思ったことだろうと。

そんでもって、異性愛なのか同性愛なのかというのをまるで煙に巻くかのような二人の関係をドラマの後半まで引っ張り続けているっていうのもおもしろいし、そういうのが台湾で大人気になってるってのもまたなんか台湾らしいな~というほんわかな感じで個人的には好きです。

今週末の日曜に最新話が台湾で放送されるので、ネットで観れるのは早くても来週の月曜かそのへん…遠い…