Thursday 27 September 2018

俳優がもつ権利の話とか

仕事の関係で縁あって「俳優の仕事と地位に関する国際間対話」というシンポジウムに参加してきた。
国際俳優連合に加盟している国の代表者を招き、俳優(ここでは“実演家”と呼ぶ)を取り巻く労働環境、権利保障について各国の状況を報告し合い、意見交換するという内容。
権利を勝ち取るためにこれまでの取り組みや、今後の課題について話されていた。
日本の主催者である日本俳優連合としては、若い実演家たちの権利意識を高め、日俳連加盟を促す目的もあったようで、海外の登壇者はしきりに団結を鼓舞する発言を繰り返していた。

日本の現状としては、たとえば映画として制作された作品に関して、その後のDVD化、ネット配信化など転用の発生にかかわらず、出演者への転用料支払いが法制化されていないなど、実演家にとって不公正な状況が続いているとのことだった。いわゆる買い取り方式・オールライツなどと呼ばれるやり方だ。
また、最近だとネットフリックスやアマゾンプライムなどのネット配信では過去の作品も見られたりするが、その配信によって発生した収益は実演家たちに還元されていない。
新しいメディアをめぐるこの問題は日本だけが直面しているものではないが、特に日本では現行の著作権法が不十分で、実演家の権利を守る法整備が海外、特に西欧諸国に比べて遅れているそうだ。

ネットフリックス問題、とここでは呼んでしまうが、彼らは各国のプロデューサーを起用しながら低予算でオリジナル作品を製作するので、当然ながら出演者たちに支払われるギャラが切り詰められていくそうである。そういえば、日頃ネットフリックスを見ていて、作品によっては字幕翻訳の質の低いものがあり、もしやこれも低予算が原因か?と思い当たる。

特に最近で自分のおすすめしたい台湾ドラマ『子供はあなたの所有物じゃない』は、教育問題、親子関係、受験戦争などをテーマにしててファンタジー要素を取り入れたちょっと世にも奇妙な物語的な怖さもあるオムニバス作品で、1話が映画1本分の濃さで非常に面白いのだが、この日本語字幕がなんとも残念なのである。誤訳に誤字脱字、話者の性別と口調が一致しないなどチラホラ…。誤訳はまだしも、誤字脱字や口調のミスは手抜きに他ならないように思うのだが、クオリティチェックの欠如か、これも低予算のせいだろうか。作品自体とてもいいものなのに、字幕がこれでは本当に残念。

…と、話が大幅に脱線してしまった。なにはともあれ、ネットフリックスをけなしたいわけではなく、むしろヘビーユーザーなんだが、新しいメディアには新しい問題がつきもので、私たちはその変革期の中にいるのだなと改めて思う。

日本で実演家の権利保障が進まないのには、業界内の問題だけでなく、日本全体の権利に対する意識の低さというか、労働組合そのものの地位の低さというか、関係してるんだろうなと思う。今日は普段は聞けない話が聞けて、久々に頭を使ういい時間になった。

Sunday 3 June 2018

台湾映画『軍中楽園』を観てきた

しばらく忙しい時期が続いていてやっと一段落したので、今日は久々に映画館へ足を運んだ。
台湾映画『軍中楽園』をユーロスペースにて鑑賞。字幕翻訳は神部明世さんだった。
ネタバレもありの感想は以下。

冒頭、浜辺に整列させられた羅保台のぎこちないしかめっ面。それは愛の何かも女の体も知らず、我が身に降りかかる"運命"の残酷さに気づく前の青年の姿だった。

序盤はなぁんだ歴史ものにしては意外とメロドラマの延長みたいなライトな映画だなと思わせておいて、徐々に不穏な空気が漂い始める。映画に出てくる月下美人とは、楽園にいる女たちのことでもあるのだろう。花言葉は儚い美、儚い恋。美しい花弁を一枚一枚はがしてゆけば、楽園の外からは決して見えない彼女たちの胸の内や過去が露わになる。女は生き延びるために自分にも他人にも嘘をつかねばならない。「最低層の男よりも卑しい」身売りする女性を蔑むときの、ステレオタイプでありがちな台詞。それを口にするのが他でもない女性本人であるとき、なんとも悲痛に、皮肉に聞こえることだろう。内面化されたイメージは彼女にとって拭い去れぬ“汚れ”となり、それをどうにか振り払うように、無邪気の仮面をかぶる。

一番胸が痛んだのは、老張が母を思い叫ぶシーン、許嫁を思い阿嬌に手を下してしまうシーン。そして二人にとってあり得たかもしれない幸せがスクリーンに映し出されたひととき。もう戻らないということ、それは失われたのだということを思い知らされることほど、人を絶望の淵に追いやるものはない。「大陸になんて戻れやしない」その一言は致命的だった。致命的な一言といえば、「初めての相手は…」とか言い残して部屋を飛び出しやがった羅保台にはまじでお前なんやねんとどついてやりたくなった。ひどい男を通り越してある種の情けなさを感じる。覚悟ができていないのは男の方だ。

そういえば、老張が羅保台に自分の来歴を話して聞かせるシーン、母との別れ、故郷への想いが一通り吐露されたところで老張が確か「母さん」だったか、母のことを大声で呼ぶシーンがあり、その直後に母の返事の代わりに砲撃の音がし、羅保台が思わず「幹你娘(FuXX your mother)」って言っちゃうんだけど、それを聞いて老張もまた故郷の言葉で暴言を吐いて、羅保台がその発音を真似して悪態ついて……なんかこう、日本語には訳しきれない部分だなと思った。訳すと全部が全部「ちくしょう」とかになっちゃう。

監督はパンフレットのインタビューで、「芸術と娯楽の中間にあるような映画が撮れないか、いつも考えています」と述べていた。本作を見た上では確かに思惑通りの出来上がりなのではという印象。歴史の語りから意図的に取りこぼされてきた831「軍中楽園」、そして「侍応生」と呼ばれた慰安婦の女性たちの存在。それに加えて国民党軍の老兵が抱えて来た苦悩と、映画に詰め込まれたテーマはこれでもかと重い。それが、どこかこう、やわらかいような軽やかなような空気感というか、多少クスっとしても許される余地が、いい意味で娯楽性が、どこかに残されていたように思う。妮妮の歌声、のしかかる男を尻目に本を読む女のたくましさ、手錠でつないだまま女子トイレにお供する羽目になる羅保台、国軍慰労公演のステージパフォーマンスに浮かれる男たち(まさに娯楽!テレサテンと白嘉莉が登場)……。まあ、それら休閑があることによって、楽園の悲劇が際立ってしまうわけなのだけれど。

歴史を描く、という意味では浅くなってしまったのかもしれないけど、その結果、映画館に足を運ぶ老若男女からすれば比較的見やすかったのかもしれない。この映画の主題だけにとどまらず、いまは「歴史に名を残すのみ」となった彼ら、彼女らの物語をより多くの人々につたえるためには、時にシリアスを押し付けるだけではだめで、さじ加減が重要なのだろうと思った。それが監督の苦戦しているところでもあるのだろう。

台湾の友人たちはどう観たんだろう、気になる。久々に連絡を取ってみようか。