Saturday, 11 June 2016

台湾若手アーティストの映像作品『錢江衍派』について

台湾の若手アーティストの作品が展示されているというので行ってきた。テーマ『「私のふるさと南都」台湾の現代アート―国家の解体と拠り所の再建』。四人のチーム(王又平、李佳泓、黃奕捷、廖烜榛)による映像作品(全90分の映画)が試みとしておもしろい。作品名は『錢江衍派』。撮影に使用した建物の玄関にあった表札からとっているらしい。

ひまわり運動をきっかけに、自分たち(1990年代生まれ)と、その両親との間にあるジェネレーションギャップ、とりわけ社会運動への関心度やそれに参加するということに対する受け止め方の違いに気づき、両親たちの若いころはどうだったのか、なぜ彼らは80年代の台湾社会運動に加わらなかったのか、という疑問を出発点として作品が生まれた。

映像は、白色テロで入獄させられ、出所後も政治批判的な小説を書き続けた作家・施明正にまつわる出来事を脚本にし、自分たちの父親四人にそれを演じさせるというもの。政治的な事柄(あるいはのちに「台湾史」として語られる大きな出来事)に対して当時は無関心であるか、そういうものに関わる人たちを「異端者」と見なしてさえいた人が、自分でその「異端者」を演じている。父親たちは演じるうちに、脚本に書かれたこと以外の、彼ら自身の記憶をふいに語り出す。大文字の歴史と個人の歴史が交差する瞬間。施明正を演じたのは四人のうち当時警官であった父。施明正が「拷問を受けた」体験について語るシーンで、父は脚本に書かれていないはずの、自分が「拷問をした」体験からくる描写を口にしてしまう。一度も話したことのない父の記憶が、撮る/撮られる関係を通じて親子の間で共有される。それは痛みを伴うものかもしれないけれど。

誰か(特に実在の人物)を演じるというのは、その誰かが経験したであろう事柄を自身が再体験するということでもある。実際の自分との距離感があればあるほど演じるのは難しいかもしれないけど、演じることで自分からは遠いものであったはずの事柄が近く感じられたり、その人物との間に共感や共鳴のようなものが生まれたりするのではないか。演じ終えた後、父親たちはどういう思いだったのだろう。

Youtubeで予告版が観れる。

会場には四人のうち三人が来ていて、その中で22歳の女の子・廖烜榛さんと話すチャンスがあった。撮影時の雰囲気など話してくれたが、お父さんたちはもちろん演技の経験などなく、脚本も未完成のまま渡したため、一度の撮影に何時間もかかって非常にタフな作業だったという。その日は開幕式兼トークイベントだったので人の入りが多くてゆっくり鑑賞できず残念。時間を見つけてまたきちんと観たい。

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