Sunday 5 June 2016

台湾映画『若葉のころ』を観てきた―すべての青春に捧げられた映画

人はいつの間にか子どもから大人になるらしい。気付けば映画の鑑賞券に1800円払うようになっていた。私は今年で27になる。見た目にはよく大学生と間違われるが、一般的には大人とカテゴライズされてもおかしくない年齢である。おおよそ10年前、私は17歳であった。誰もが経験するであろう17歳は、誰かにとっては特別で、誰かにとっては何でもない一年に過ぎないかもしれない。自分にとってそれがどんなだったか、もうしばらく思い出すこともなかったので忘れた気になっていたが、今日、シネマート新宿で映画を見終わる頃には、自分にとっての“あの頃”の記憶を手繰り寄せずにはいられなかった。

映画『若葉のころ』は、17歳の少女バイと、17歳だった頃のバイの母・レイの初恋を描いた物語だ。ノスタルジーへと誘う甘美なピアノの音色。白い足をさらけ出して駆け回る少女たち。そして彼女たちをとり囲うように青々と茂る木々。スクリーンからは始終、瑞々しくてまぶしい青春の形象(イメージ)が放たれている。ビージーズの「若葉のころ」がテーマ曲で、その歌詞とメロディが映画の中で巧みに挿入される。監督は周格泰という、これまでアーティストのMV制作を数多く手がけてきた人物。酸いも甘いも経験して“大人になってしまった”二人(レイと初恋の相手・クーミン)と、手を触れることさえためらった17歳の頃の二人の手紙を読み上げる声が重なり、瞬く間に時間が巻き戻されてゆくクライマックス。そこからエンドロールにかけての音と光、スローモーション等々を駆使した映像がとりわけ美しく、そこだけでも十分作品になりそうだった。

交通事故に遭い意識が醒めない母にバイは語りかける。「誰かを好きになるって、こういうことなのかな?」バイは同じ学校の男子生徒に好意を抱いていた。だが彼女の友人もまた同じ人を好きになってしまったために、バイは胸の張り裂けるような悲しみの底に突き落とされる。多感な時期に直面する性的なものへの嫌悪感と、両親のセックスによって生まれた自分という存在の間での葛藤。17歳の純真さゆえに苦悩するバイを演じているのは現在27歳の女優・程予希である。若いころのレイと一人二役で演じているのだが、この映画の見どころは彼女の軽やかで魅力的な表情でもある。映画を観ている私まで彼女に恋をしてしまいそうである。

つい先日、現在台湾で放送中のオムニバスドラマ≪滾石愛情故事≫(ロックレコードと恋人たち)の第九話≪挪威的森林≫(ノルウェーの森)を観ていて、そこに登場したのが同じく双子の姉妹を一人二役で演じる程予希だった。親の借金を返すために援助交際をさせられている非行少女(姉)と、音楽の才能がありながらも自閉症を抱えて学校に通えず、姉と同様に体を売ることを強要されている少女(妹)。補導員として働く青年に出会い、徐々に心を開いていく妹の繊細な表情にも、むごい現実から逃れられないまま、おざなりの正義感で更生させようとしてくる青年と泣きながらぶつかり合う姉の姿にも、ぐっと惹きつけられるものがあった。次の出演作もぜひチェックしたい。

話は映画に戻る。バスケットボールのコートで一人通り雨に打たれながらシュートを打つ若き日のクーミン。そしてあの頃の記憶に触れ、思わずそのコートで大の字になるおじさんクーミン。体中に激しい雨が打ち付ける。このシーンでクーミンの体を濡らす雨粒をはじめ、友人ウェンと意中の人シェンシーとの屋上でのやり取りを見てしまったあとのバイが自分で自分にぶっかけるホースの水、17歳の少女たちがはしゃぐ雨上がりの水たまり等々、ここでは水というものがイノセントな存在に還るための媒介のような意味を持っている。バイとレイは母子で俳優も同じだから対比して見がちだが、後に退学の原因となる事件の現場に居合わせてしまったクーミンと、屋上の出来事を見てしまったバイとが経験した衝撃には似通った部分があるように思う。どちらも男女の性に関わることであるし、なんだか、そのへんのごちゃごちゃを経験することがイノセントなものとそうでないものを分かつのだと言わんばかりに描かれている気がする。(まあその通りといえばそうか)

事件のあと、クーミンはレイの家にやってきて路地で涙ながらにレイを抱きしめようとする。レイは驚いて後ずさりするが、ただならぬ様子を察してゆっくりとクーミンに近づき、抱きしめ合う。二人の影はクーリンチェの少年と少女を思い出させる。監督は日本語版パンフレットのインタビューの中でも、一番影響を受けた監督として侯孝賢と楊德昌を挙げている。少なくともこの映画は悲劇ではなく、甘くて切ない記憶の物語だが、この辺は意識して撮られているのかもしれない。(あと監督は≪戀戀風塵≫が好きだそうだ)

レイとクーミンが通う学校の屋上で、少年がラッパで羅大佑の<童年>という曲を吹いているシーンがある。続けておじさんクーミンとその悪友がバーで童年をでかい声でうたい、若い客がうるさいといって喧嘩になる。これも世代の差である。おじさんたちにとってノスタルジックな気分にさせてくれるその曲の良さは、ある世代より下の子たちにはおそらく通じない。とはいえ、最近の台湾映画やドラマでは、そういうある世代層にはどんぴしゃで懐かしくてたまらなくなるような懐古ものが受ける傾向にあるらしい。たとえば≪那些年,我們一起追的女孩≫(あの頃、君を追いかけた)、≪我的少女時代≫(私の少女時代)、≪我的自由年代≫(英題:In A Good Way)、≪1989一念間≫(英題:Back to 1989、勝手に邦題候補:1989年の君へ)などなど。どれも1980年~90年代を時代背景とする。どんなに懐かしくても過去に戻ることはできないのが常だが、1989一念間に至っては主人公の男の子が1989年にタイムスリップして産みの母の秘密を探り、時には未来を変えようとさえしてしまう。時をかける少女ならぬ時をかける青年である。そういうものを観ていて、劇中の挿入歌やファッション等々の時代背景という点ではどんぴしゃじゃない世代からも支持されることになるのは、“もう戻らぬあの頃”に対する後悔や感慨は世代を問わず共有しうるものだから。私だって、台湾で生まれ育ったわけじゃないし世代も違うけど、『若葉のころ』観ながらなんだかノスタルジックな気分になっちまいました。まだ20年そこそこの人生、されど恋の一つや二つあるもんなあ。ああ余計なこと書いてまう前に切り上げよ!とりあえずDVD出たら買うと思います。

公式サイトで予告が観れる。

そういえば、『若葉のころ』のウェン役で≪1989一念間≫の葉真真こと邵雨薇が出演していた。1989での失恋して涙するシーンが印象的で、なんてきれいに泣いてくれるんだと思ってたけど、若葉のころでも冒頭で早速泣いてるシーンがあった。おもしろいくらいきれいに涙が落ちます。

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