Tuesday 16 February 2016

アマゾンプライムを活用して『ロンドン・ブルーバード』を観る

あれおかしいな、昨日夜中にアマゾンで注文した品物が既に今日届いちゃってるぞ、おかしいな早いな、と思ってたらいつの間にかアマゾンプライムに加入していたせいだったので(無料体験30日間過ぎた後退会するの忘れてた)、これはもう最大限活用してやるしかない!と思って隙あらば無料で動画を観ている。

『ロンドン・ブルバード-LAST BODYGUARD-』は、大好きなキーラ・ナイトレイが出ていたので気になって観た。私が映画を選ぶとき、大方の基準は誰が出演しているか、という点に委ねられている気がする。解説には「良質なフィルム・ノワール」とあったが、何が良質で何が良質でないのか分からない私にはピンとこない説明だった。暴力沙汰で数年間刑務所に入っていた男が、出所してもう二度とそっちの筋と関わらずに生きてゆくことを願うも、腐れ縁の友人に借金取りの仕事を手伝わされたりしているうちにギャングのボスに気に入られてしまい、俺んとここいよ!と執拗に迫られる。男の方は、運よくかなんなのか、たまたま知り合った女から、四六時中パパラッチに追い回され部屋に閉じこもっている有名女優の護衛のような仕事を紹介され、女優の屋敷に通うようになる。

これが「良質なフィルム・ノワール」だというのなら、それは裏社会から足を払って(そもそも元からマフィアというわけじゃなかったみたいだけど)人生をやり直すことを強く望んでいる人間が、徹底して闇から逃れられない運命をたどるからか、ごく平凡な、むしろ希望に満ちている暮らしのなかにひそむ闇を(団地のスターであるサッカー少年がホームレス殺しの犯人であるなど)、ストーリーの中に巧妙に盛り込んでいるからか。でも主人公の元にまったく光が射さなかったわけではない。彼は彼がそれまで歩んできた人生からは程遠い存在に思えるような美しく魅力的な女性と恋に落ちる。彼女の存在こそが、闇に射す一筋の光だった。漆黒の闇の中にも光が射しこむこと、そしてその光は、どんなにあがいても掴めないものであること、というのが、「良質なフィルム・ノワール」の条件なんじゃないかなと思われる次第です。

オデッセイは結構いい映画だった

先日、恋人が『オデッセイ』を観に行くというので、連れられて私も映画館に足を運んだ(以下ネタバレあり)。主演のマット・デイモンといえば私の中では『ボーン・アイデンティティ』の謎めいたマッチョ、ジェイソン・ボーンか、そうでなければ『ディパーテッド』の警官になったマフィアの回し者(『無間道』で言うところのアンディ・ラウ)の役柄が印象強く、そのほかの出演作があんまり思い出せない…。どっちもシリアスなアクションもので、何重にも裏がありそうないつ死んでもおかしくない役柄を演じてたので、火星で一人取り残されたとなってはもう、謎の宇宙生命体に遭遇して命からがら逃げ切ったかと思いきや食糧尽きて窒息か爆発で死ぬっていう悲劇の結末以外考えられそうになかった。実際はまったくもって違った。

誰かは、“希望にあふれた映画”だった、というかもしれない。分からんでもない。それは単に、最先端の科学技術が結集された宇宙開発の現在をリアルに目の当たりにしたからだけではない。むしろ、科学技術などもはやアテにできないような絶体絶命の状況下で、生きぬくことを諦めずに生きぬいた人間の並外れた精神力と知力を見せつけられたからだ。主人公ワトニーが自叙伝を書くなら、その本の中にはどこかに必ずこう書かれているはず。

「今自分がどんな状況に置かれていて、どんな問題があって、どうやってそれを解決するのか、自分の頭だけで考えることだ」

まあでも、希望がどうのこうのというのはちょいと美化しすぎなようで、首のあたりがこそばゆくなる。ただ、なにがあっても最後に生き残れるのは、冷静な判断力と現実を笑い飛ばせるユーモアを兼ね備えた人間なんだと言うことがよくわかった。あと植物学の知識はあった方がいい。ちなみに恋人は開始15分で泣いたらしい、どんなお涙頂戴映画を観ても涙ひとつこぼさないのに。私はというと、後半で中国の宇宙開発局(中国国家航天局)が出てきてNASAに救いの手を差し伸べるあたりから、アメリカと中国が仲良く手を結んで宇宙飛行士を、いや全世界、全宇宙を救う!みたいなアメリカにとっての理想像がにじみ出ちゃっている気がして、「上手に世相を反映させてんな」としか考えられなくなっていました。いや、いい映画でしたよ。火星でも生き残れるように、まずはじゃがいもの栽培からかな。

Thursday 11 February 2016

《我的少女時代》感想

本当は最近ハマってる台湾ドラマ《愛上哥們》で主役やってる女優さん賴雅妍の出演映画《等一個人咖啡》が観たいのだけど、ネット上で見られるものが見つからない。この映画で主演してるのが宋芸樺という1992年生まれの若い女優さん(年齢的には自分と3歳しか離れてないのだが80年代と90年代じゃ月とすっぽんくらい違う気がして)。で、彼女が主演した最新作で《我的少女時代》(私たちの青春)というのがたまたまネットで観ることができたので代わりに観てみた。簡体字字幕だったけど。

サービス残業で上司にこき使われ、恋人との関係もなんだかうまくいっていない様子の主人公が、あのころの自分が今の自分を見たら…なんてことを考えて、学生時代のことを思い返すところから物語が始まる。主人公の林真心が女子高校生だったころ。友達と好きなアイドル、スターの話をしては盛り上がり、旦那様だ王子様だなんだと言っては胸をときめかせていた。彼女もそういう“恋する乙女”のひとりで、香港のスター、アンディ・ラウの大ファンだった。実は校内にも憧れの王子様がいる林真心は、ひょんなことからその王子様とは正反対のタイプの不良男子と友達になる。互いの恋路に協力することで意気投合した二人は、なんだかんだで意中の人に接近するのだが、だんだんそれぞれの心の中にある互いに対する特別な感情に気付き始めるのだった…

ってなわけでいわゆる青春モノですけれども、台湾映画はこういうのんがほんと得意だなーというか、むしろ『あの頃、君を追いかけた』に始まり昨今は一際そういう路線のものが多いような気がしている。たぶん台湾大衆からのウケがいいからだと思うけど。それで私もまたこういうのは嫌いじゃないので観てしまうし楽しめる。一番胸アツだったのは挿入歌に鳳飛飛の『追夢人』が流れたことで、ああ、やっぱこの曲が流れたとして、一定数の観客が青春時代を連想できるほどには、時代の代表作だったのだな、と感じた。もちろん最後に憧れの大スターが登場してしまうところも「まじかよ」と思ったし、監督の本気度が垣間見れた気がしてよかった。そこに至るまでの、青春時代のほろ苦い思い出もまた噛むほどに味が出るような切なさがあってよい。観終わって何が得られるわけでもないが、こういうのがないと、台湾映画は楽しくないな、と思う。

俺のハン・ソロ

今年はいっぱい映画を観るぞ!と意気込んだので、その分感想とか簡単でもいいから記録を残していきたい。ネタバレはします!

2016年入って最初に観たのはなんといっても『スター・ウォーズ』だった。大学時代に初めて観て、なぜか友人宅で徹夜のぶっ通しで全エピソードを観破した思い出がある。今思えば無茶だったし、エピソード1のレースのシーンなんかは、どうせなんだかんだで優勝すんねやろ、と思って途中から寝てたと思う。でも世界中のスター・ウォーズファンが魅了されたように、私もこの作品が好きになった。矮小な銀河の片隅にしか生きていない私からすればとてつもないスケールの物語なのに、そのいずれにもちっぽけな人間臭さがにじみ出ていて、アナキンのことを嫌いになんてなれなかったし、エピソード3でオビ=ワンと決闘するシーンは、英語のセリフを言えるようになるくらい何度も観た。血生臭くて愚かで、自分でもコントロールの効かない荒くれ者の感情を抱えている人間をみることが大好きだ。

そして待望の待望の待望の新作エピソード7がいざ公開されて、私はそれを観るまでに一か月の間を置いた。とりあえず旧作を見直して復習したかったからなんだけど、結局エピソード4、5、6だけ観て我慢できず劇場に足を運んだ。結論から言えば、1~3は復習しなくても全然問題なかったなという感じ。直接つながるのは4からの物語だったから。新作で改めて実感したのは、スター・ウォーズの根底にあるのは意思疎通の足りない親子関係とこじれた師弟関係だってこと。相方には「えっいまさら?!」って言われたけど、まあ、昔はあんまり構図的に観てなかったんだよね。宇宙を股にかけている冒険ストーリーとしてのわくわく感とか登場人物の個々の感情の動きとか、そういうのが好きだった。映画の続編を撮り続けていくのって、ストーリーにせよ演出にせよ、パターン化してしまう(させてしまう)ってのはすごいリスキーな賭けだと思うの。で、7作目のスター・ウォーズは、基本的な構図を結局踏襲している。ルークは弟子となったハン・ソロの息子(ベン/カイロ・レン)との間に信頼関係を築けず、カイロ・レンは自分の祖父であるアナキン、あろうことかダースベイダーver.を過剰に崇拝して、それに及ばぬ自身の弱さに憤りつつ、むしろそのことを、もともとフォースをもたない実の父ハン・ソロのせいにしてしまっているようにも見える。だから、自身のルーツに望みをかけながら、実の父の存在との間で葛藤している。それはもう、どちらかの存在をバッサリ切ってしまうことでしか解決しないわけですね、分かります。その気持ちは分からんではないが、私の大好きな大好きな大好きな大好きな大好きなハン・ソロをあんな目に遭わせたお前を俺は絶対に許さないぞ、という思いを胸に映画館をあとにした私でした。

Wednesday 10 February 2016

愛上哥們を観ている

台湾ドラマ『愛上哥們』(日本語にするなら「アニキに恋して」みたいなとこか?)にハマってしまった。昨年末から台湾の三立テレビで放送されていて、あと二話で完結するところ。字幕版やら吹き替え版やらの映像が日本に届くのを待たずして、インターネットを駆使して鑑賞できる時代に生まれてよかったです。こういう時に外国語をそこそこ理解できるとラッキーである。

簡単にあらすじをまとめると、訳あって幼いころから男として生きてこなければならなかった女の子が、ヤクザの若い親分でテーマパークを運営する事業家でもある青年を偶然助け、その活躍が買われて兄弟分の契りを交わすことになり、あれやこれやで親分となんかいい感じになっちゃいそうだけど26歳になるまで女だとバレてはいけないからがんばって隠しながらいい感じになる、というもの。まあ、台湾ドラマにはありがちな無茶感のあるストーリーなんですね。このドラマが始まる前のシーズンのドラマをネットで観ていて、ああ次はこんなんあるんだな、くらいにしか思ってなかったんだけれども、台湾の友人に最近のおすすめのドラマはないかと尋ねたら、このドラマが台湾で大人気になっていると言うもんだから、どんなもんだと気になって観てみたのです。で、いざ観はじめるとなんかやっぱ無茶な雰囲気漂ってるなー飽きるかなーと当初は感じたんだけど、なんだかんだで現地の最新の放送回分まできっちり追いついちゃった。とはいえ惰性で観続けてきたわけではなく、結構おもしろくて裏話映像をyoutubeで探してみてしまうほどなんだが、そこまでハマった理由を考えてみると二つ三つはある気がする。

一つには、設定が無茶なのでそのほかの多少の違和感は観ているうちに受け入れてしまう、ということがある。訳あって自分の性別を偽らねばならなくなった理由というのがそもそも大袈裟だし、物語の前提である“同性愛者ではないが男だと偽らねばならない女”っていう設定がすでにぶっとんでいる(ドラマではよくあるけど)。だから、それ以外の「ん?」「それはありえんやろ!」みたいなのは次第にどうでもよくなってくるところがある。観ているうちにストーリー上で感じる「ん?」はそれなりに受け入れてしまった。もちろん、コメディとしての演出だったり監督の撮り方だったりに工夫がされているからこそ、無茶のある設定でもサムくないドラマに仕上がっているのだと思います。

二つ目には、一番の理由はこれなんだが、男として生きている琵亞諾を演じる女優さんがなかなかいい演技をするので、それが見逃せないということ。調べてみたら、この賴雅妍という女優さんは2014年に『等一個人咖啡』という映画の中ですでに短髪の男性的な役柄を演じたことがあって、そこではレズビアンの女性という設定だった。実際、男性俳優と並んでも見劣りしないくらいの背の高さがあって、『愛上哥們』のなかではキスシーンでの見栄えをよくするために撮影時の立つ位置を工夫したりして相手役の男性との身長差をこっそり演出しているくらい。その上、小顔の整った顔立ちと来てはまさに草食系のイケメン男子さながら。つまり、容姿が役柄にしっくりはまっている。声はさすがに無理があるんじゃないかと思っていたのだが、慣れとは恐ろしいもので、回を追うごとに全然気にならなくなった。男女の恋愛物語をみてるのか、同性愛の恋愛物語なのか、はて?となることもしばしば。実に、この女優さんははまり役を見つけたな~と。もし自分が同じ職業の人間なら相当うらやましく思ったことだろうと。

そんでもって、異性愛なのか同性愛なのかというのをまるで煙に巻くかのような二人の関係をドラマの後半まで引っ張り続けているっていうのもおもしろいし、そういうのが台湾で大人気になってるってのもまたなんか台湾らしいな~というほんわかな感じで個人的には好きです。

今週末の日曜に最新話が台湾で放送されるので、ネットで観れるのは早くても来週の月曜かそのへん…遠い…