Saturday 11 June 2016

『台湾とは何か』読みつつ、太陽花学運のこと思い出しつつ

二年前、台湾留学中にアメリカからきた留学生と台湾人のアイデンティティの問題についてちょろっと話をすることがあった。その留学生は「台湾人がいくら“台湾文化”だの“台湾アイデンティティ”だの言ったところで『台湾』っていう国家は存在しないのだからもう少し現実的になるべきだわ」みたいなことを言って、私はついムッっと顔をしかめてしまった。あの時は「こいつ、台湾で自分たちを台湾人だと思って生きている人々の暮らしをまるごと否定する気か?」と思って非常に憤慨し、感情的になったのだが、今になって冷静に振り返れば彼女は別にそういう意味で言っていたわけではないんだろうなと思う。ただただ現実的な考え方の人だったんだなと。彼女の言った通り、文化的なアイデンティティの選択肢としての「台湾」が存在しても、現実に国家体制としてそこにあるのは「中華民国」というもう一つの「中国」だ。彼女は、台湾の人たちはその現実を受け止めた上でもっと「中華民国」という体制を戦略的に使うべき、ってことを言っていたのかもしれない。この話と、野嶋さんが著書『台湾とは何か』の中で書いてた「天然独」の若者たちのこと、金溥聡の「中華民国は台湾の護身符です」という言葉、そして「大陸反攻を放棄し、台湾化した中華民国は、台湾の人々にとってはもはや『克服』すべき対象ではなくなりつつあるかもしれない」という野嶋さんの認識とが繋がって、色々となにかストンと腑に落ちるような思いがしたのだった。

私の友人のほとんどは1980年代後半~1990年代以降生まれの「天然独」世代である。そして彼らとの交流を起点とした私の台湾認識もまた「台湾が台湾でなくて何なのだ?」という素朴な感覚から始まっている。(細かいことを言えば、初めて台湾に行くまでは無知ゆえに台湾のことをすっかり中国だと思っていたのだが)そういうわけで、当初、台湾に出会ってから次に「中華民国」という台湾の“正式名称”を知ったときには少々頭が混乱したし、さらに「私たちは中国人じゃなくて台湾人なんだからね!」と普段から我々留学生に対して念押ししてくる友人が、10月10日に中華民国の国慶節をワイワイガヤガヤお祝いしている様子がフェイスブックのタイムラインに流れてくると余計に訳が分からなくなったりした。「台湾?中国?結局どっちなの?!」と。

その後、台湾史というものを勉強していく中で日本植民地時代を経てあやふやになった台湾の帰属問題や、中華民国の国際的社会からの孤立、中華民国「中華民国台湾化」という政治体制の緩やかな変動といった経緯を知り、また「台湾」という国を打ち立てるための台湾独立運動が燃え上がっては潰えを繰り返してきたことも知り、加えて友人たちとの交流が深まる中で、徐々にその戸惑いは薄れていった。一見矛盾してそうに見えた友人の言動も、その背景と照らしてみればそうならざるを得ないものだし、むしろ野嶋さんの言うように、台湾の友人にとって中華民国という国家体制は何も否定すべきほどのものではなく、“それが台湾を否定しない限り”受け入れていくもの、併存するものとしてある(なりつつある)のかもしれない。あと、「天然独」の世代にもグラデーションはあると思っていて、台湾は台湾だし独立して然るべきだけど中華民国の国慶節も祝うという友人もいれば、そうでない友人もいる。私が感じるところでは、前者は「台湾は台湾として独立した国だ」という皮膚感覚を持ち、台湾独立というスローガンに共鳴しつつも、現状維持志向が比較的濃厚な人たちで、グラデーションの大部分を占めている。後者は台湾独立を前向きに、具体的に実現させようと考えて行動している人たちで、グラデーションの端っこの方にいる。先の太陽花運動なんかで先導していたのはその後者の「天然独」世代たちなんだろうと大雑把にとらえている。

とはいえ、太陽花運動の話になると台湾独立 or NOTっていう二者択一を論点にしたがる人たちに対しては懐疑的で、日本での報道のされ方にも当時は随分と納得がいかなかったりした。いずれ太陽花運動のこと、あの場で見聞きしたこと、考えたことなどまとめなければと思いつつもう二年が経ってしまった。あの時ちょうど台北にいた私はまるで熱に浮かされたようにして毎晩授業が終わると片道30分バスに揺られて立法院に足を運んだのだった。私の人生(まだ26年そこそこですが)の中であんなに身体をフル稼働させた時期はなかった気がする。「いま、歴史が動いている」と本気で思っていたし、自分は幸運にもその渦中にいるとさえ。学生たちによる立法院の占拠行動が始まってすぐのころ、その出来事を自分はこんな風にとらえていた。私が立法院の前で目にしたのは、学生と市民が一致団結して自分たちの生活を守ろうと声を挙げている姿だった。この運動が結果として、台湾の人たちに台湾経済の中国への依存度を再認識させ、各々の台湾人としてのナショナルアイデンティティや、「中国ではなく台湾」という国家アイデンティティをより鮮明にさせることになったのだとしても、運動の目的は決してそこにあるのではなかった。学生の友人から聞いた話では、あの時台湾独立を訴える団体も運動に参加していたが、学生側は抗議の主張が台湾独立という問題にすり替わってしまうことを懸念して、そういう団体らには立法院から少し離れた場所で活動するようにお願いしていたらしい。

運動では、一つに、「黒箱(ブラックボックス)」の中で強行採決されたという事実の深刻さを鑑み、これを民主主義の政治体制を脅かすものであるとして抗議活動が行われた。二つには、台湾の中小企業に不利で且つ市民の暮らしを脅かすものとされる中国とのサービス貿易協定に対する反対主張が訴えられた。と、大雑把に言ってはみたものの、私があちこち話を聞きまわったりしているうちに気付いたこととして、あそこに集まっている人たちの中にはたとえば「“黒箱”には反対だけど“服貿”に反対ってわけではない」というような微妙な考えを持っている人もいた。あるいは、サービス貿易協定の是非はひとまず置いておいて、「黒箱」に抗議する=民主主義を守る(捍衛民主)ことを第一の主張とすべきであり、そうしてこそ様々な団体が本来様々な主義主張を携えて活動する中でそれらの目指すところの共通項を据えて一致団結できるのだ、と考える人もいた。実際に、立法院の周りはそういう構造になってたんじゃないかなと思う。部分集合とか集合とかの、丸がいくつかあってそれがところどころ重なっているみたいな図があるじゃないですか、ああいう感じで、蓋を開ければみんな細かな意見の対立はあるんだけども、一番大きな理想は一つで、それが民主主義を守ることだった、という。私はこんな風に感じながらあの運動に参加していたし、だからこそ共感するようなところもあり、彼らとともに熱狂したのかなと思う。

民進党が当時、立法院の周りで配っていたパンフレットの中には、確か服貿には反対だがTPPには積極的に参加していくべきだというような内容が書かれていた。一部の友人はそれを「私たちが服貿に反対していることの根元にある理由を(民進党側は)理解していない」とか「服貿はだめでTPPはOKだなんて馬鹿じゃないの?」というように批判していた。彼らが見据えている“仮想敵”は単に日ごろから彼らを悩まし続ける中国という隣人だけではなくて、中国もひっくるめて、その強権的姿勢で国内の市場を食い荒らそうとしてくる国外の大企業や資本、新自由主義の信奉者たちだった。話は多少逸れるが、こういう学生たちと日本のSEALDsに参加している学生なんかが交流すればおもしろいんでないの、とずっと思っていたので、4月に林飛帆さんと奥田さんがフィリピンであった青年交流イベントで対面することになったと知ったときには彼ら二人の互いへの反応というか、どんな話をしたのだろうかってちょっと気になった。林さんのFBの投稿にはコメントがたくさん。中には安保反対を訴えているSEALDsを批判するものも。こういう人たちは、日本の安保法制が、台湾にとって政治的な脅威である中国を牽制するための有利な策として働くと考えている。つまり日本が安保法制を備えることで、台湾も漁夫の利を得られるのであると。私にはそうは思えないけど。なんというか、中国という存在を共通の仮想敵として仲良くしましょうと考えている人たちが過剰にナショナリズムを煽って、互いにもっと協力して取り組んでいかなければならないはずの問題にともに取り組めなくなるのは、残念だなあと思う。

たまにふと、このまま中国の経済成長が続き、台湾の企業を味方につけ、経済的なパワーで台湾を囲い込んで一国二制度の名のもと統一にこぎつけたとすれば台湾や台湾の友人たちはどうなってしまうのだろうかと考えることがある。仮に台湾の人の生活や文化が保障されたとしても、もっと精神的な面での大事なもの、言ってみるなら「尊厳」というようなものが失われることに違いはないんだろうと思う。できればそうはなってほしくないけど、でもだからと言って、なにもかも中国との関係にNOを突きつけるのは違うよな、とも思う。私なんかがちょこちょこ考えるよりも、台湾の友人たちはよっぽど頭を抱え込み、日々思いめぐらせているのであろうけれども。


【追記】
SEALDsと香港、台湾の学生たちとの対談本が出てた。
『日本×香港×台湾 若者はあきらめない』(2016年6月発売)
書店で軽く立ち読みしたが、香港の学生との対談の方が分量が多く、台湾は陳為廷さんしか登場せず。私が気になっていることが書かれてあると思ったけど、他の本を買って金がなかったので購入には至らず。

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