Tuesday 28 June 2016

最近観たやつメモ6月28日

最近観た邦画三本。


『駆込み女と駆出し男』

大泉洋がわけのわからん作り話の長ゼリフを言うところが良かったです。江戸時代は離婚の主導権が夫側にあったらしく、どうしても離婚したい訳アリの女が最後の手段として駆込んだのが縁切寺「東慶寺」。じょごのパワフルさに脱帽。一生懸命働ける女は強い。井上ひさしの『東慶寺花だより』というのが原作だそうで、こっちを読んでみたい。


『ピースオブケイク』

白状するとヒゲ綾野剛が見たいがためにDVDを借りた。かっこよかったです、ありがとうございます。簡単に言うと、流されて恋愛してきた女の子が本気で好きになった人と恋に落ちたけど信用できなくて一回別れてまた付き合う、みたいな話でした。人が良くて寂しがりでへらへらしている男(三十路過ぎ)を演じている綾野剛がただかっこいいというだけの映画だった。京志郎が友人の借金のために店の売り上げからお金をガバッて渡すところで志乃ちゃんが「一生ついていきます!」とか言っちゃってるシーンでは「おいおい、あかんで、これあかんタイプの男やで」とつい口に出てしまった。最近はドラマや映画の中で女子たちが恋愛や結婚について話しているシーンになるとあまり共感できないことが多く、むしろ突っ込みを入れてしまう。歳か。


『海街diary』

是枝さんの映画は『誰も知らない』(2004)、『空気人形』(2009)、『そして父になる』(2013)しかまだ観てないんやけど、どの作品でも毎回共通して家族関係のような親密な人との関係性を問われている気がした。母親が出て行ってしまって残された血のつながらない子どもたちだけでマンションの一室で生きしのいでいくという話、セックスドールと同棲生活を送っている男と人間の心を持ってしまったそのセックスドールの話、血のつながった息子と数年間我が子として育てて一緒に暮らしてきた息子とどっちを選ぶかみたいな話。そして『海街diary』も、姉妹三人プラス腹違いの妹が父親の死をきっかけに一緒に暮らし始める話と。どれも、家族や恋人と聞いてパッと想像しうるようなものとは違う関係性の中で暮らす人たちがいて、むしろ常識からすると破たんしていたりする人間関係、人と人のつながりが映し出されている。当たり前、普通、と思っていたものがある日急に揺るがされる感覚。そこまでどぎつくないけど。

海街diaryでは女四人が集まって一緒に住んだらいくら姉妹とはいえ息苦しくて誰か脱落してしまいそうなものを、四人がそれぞれ欠けてはいけないピースのように、喧嘩しながらも和気あいあいと暮らせているんだから驚きだ。木造日本家屋の庭付き一軒家がまるで取り残された女たちの城のようにも見えてくる。わたしも一緒に暮らしたい。仲間に入れてください。でも、そこに入り込みたくなるようでは生ぬるい。ぎすぎすしていない。みんなやさしい人たちばかりが登場する。姉妹も、食堂のおばちゃんも、カフェのおじさんも、銀行の上司も…そういえばレキシの池田貴史が出演していたので吹いた。あれは反則だ。普段、稲を振っている方に馴染みがある人が見たらそりゃ吹いてしまう。イラっとするのは、やさしそうに見えて本当はやさしくない人だ。長女・幸と微妙な関係にあるのは精神的な病を抱えた奥さんと離婚しきれない男。堤真一が朗らかに演じていて、ヤワなというか、毒のない、あいつ悪いやつではないんだけど、という感じの雰囲気が、妙に気に入らない。ついに離婚して、幸を連れてアメリカにわたりたいとか言い出す。でも幸は三人の妹たちとの暮らしを選ぶのだった。うん、それがいい、と心底思った。


ピースオブケイクも海街diaryも漫画原作であった。漫画原作多いなー。
アナキストの本読んで殺伐とした気持ちになっていたところで海街diaryを観たのでマシュマロに挟まれたビスケットの気分である。(あれ?ビスケットでマシュマロ挟むんだっけ?)

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