Tuesday, 3 February 2015
最近のごちゃごちゃ〜岐阜に湯治に行きたい〜
最近心身ともに疲れ過ぎていたので環境や習慣を変えるしかないなと思っていて、本当は湯治とか行ければ良いんだけどそんなお金も時間もまだないみたいです。疲れの原因は修士論文というやつで、もうこれは発表と審査が終わるまでどうにもならないので励ましながら耐え忍ぼうと思うが、一ヶ月やそこら無理して追い詰めて徹夜したり家に帰らない日があったりしただけでこんな風に身体の調子を崩してしまうのなら、これから先数年間、数十年間待ち構えている社会人としての生活に私の身体は耐えられるのかと本当に心配。ただし落ち着いて考えてみると、一ヶ月間の無茶だけが疲れの原因ではないみたいなんだ、最大の敵は「冷え」じゃないかと思い始めた。ホルモンバランスが崩れて色んなところから出血してるのも膀胱炎も。膀胱炎ってなんやねんほんま、痛い、痛いし悪化すると腎盂腎炎とかいう怖い病気になるらしく、一週間ほど前に熱っぽい日が続いたので風邪かと思って病院で先生に聞いたら膀胱炎だったし腎盂腎炎の兆候だから絶対安静にしてねということでした。ひどくなるとおしっこできなくなっちゃう。こわい。あったかくして水をしっかり飲んで面倒臭がらずトイレに行ってねと言われた。先生がとてもやさしく、親身になって疲れの原因について聞いてくださったので少し穏やかな気持ちになれた。まだ膀胱のあたりと両脇腹がたまに痛むので油断なりませんが徐々に回復に向かっている気がします。半身浴始めました。始めてから疲れが溜まりにくい気がする。気がするだけなのでまだ分からんし結局病は気からなのかもしれない。膀胱炎にはクランベリーが効くという情報をネットで目にしたのだが、それからついついローソンのクランベリーが入った白パンを買ってしまいがち。前から好きだったけど。あとツイッターをやめてみた。情報を得るのに便利だが、情報が多すぎるし見なけりゃいいのに見てしまうし心労が増える、今の私にはあまりよくない。2、3年前はやっててもほとんど見なかったのに。器用じゃないからスパッとやめてしまわないと断てないと思って思い入れのあったアカウントとさようならした。さようなら。いつかまた再会するだろうか。
Thursday, 20 November 2014
過去の自分はもう他人だったという話
ふと研究室の本棚を見上げていたら、昔パソコンが壊れる前にデータを出そうと、何を思ったか、十代のころに書き溜めていたポエムを印刷したことがあって、それをこの本棚のどこかに置いている(葬っている)事を思い出した。探してみたら案外すぐ手元にあって、まだ色褪せてないA4サイズの茶封筒の中からごっつ恥ずかしい「過去」がお目見えした。ひさかたぶりに読んでみたら案の定穴があったら入りたい気持ちになったけど、これは良い笑いのネタになる気がする。弔いの気持ちでここに晒そう。
----その1----
語りかける愛は嘘
いつだったか
目を見なくなった
そよ風が吹いた
もう帰らない木漏れ日の春
自由がいいのはお互い様
恋なんてなにが本物で
なにが必需品か分からない
足りないものだらけでここまでやってきたのに
-------------
(一行目で出オチ感ある。
っていうかそんな自由がどうのこうの言うような恋愛してたっけか?)
----その2----
突き放されることも
突き放してしまうことも
もう慣れっこになった
気持ちを見ようと何度も何度も
晴れない霧をかきむしるように
僕を繫いでいるように見えた糸はあまりにももろくて
作り上げた理想だけがすべてだった
悲しいよ
何を聴いても思い出すのは君のことなのに
今ではどんな言葉も感情を表さない
僕の心に添わない
問いかけたい君がいない
問いかける力も僕にはない
救われたい一心で答えを探すんだ
ない場所探して疲れて眠る
逃げて
ぜんぶ決して
記憶も
孤独も
あったかいものが欲しかっただけ
手に入らないものを望んだ
春は君をさらっていった
-------------
(まさかの一人称「僕」
この流れからして春先に失恋したんやろうな。)
----その3----
音もなく消えてしまいたい
あなたに見られることもなく
誰にも気付かれず
ふとした拍子思い出された像に
少しだけ感傷に浸られたい
もう二度と触れられぬものと
悔いとともに慈しみを込めて
名前を呼ばれたい
影もなく溶けてしまいたい
大地に重なり雪に混ざり
星にも照らされず
あなたが忘れた分の思い出を
ガラスの床に閉じ込めて見ていたい
同じようにどうしようもなく
行き場を失っている愛情を
わたしが溶かしてしまいたい
-------------
(注文の多いポエムですね。)
----その4----
想いを綴って
繰り返して
時間は流れて
僕は残される
きれいだと思わないか
ただひとり立ち尽くす僕
無限が垣間見えて
永遠を感じる
恋だ
誰かを想うことだ
僕が見ているのは君だ
-------------
(やっぱりなぜか「僕」。もうそろそろキツイ)
----その1----
語りかける愛は嘘
いつだったか
目を見なくなった
そよ風が吹いた
もう帰らない木漏れ日の春
自由がいいのはお互い様
恋なんてなにが本物で
なにが必需品か分からない
足りないものだらけでここまでやってきたのに
-------------
(一行目で出オチ感ある。
っていうかそんな自由がどうのこうの言うような恋愛してたっけか?)
----その2----
突き放されることも
突き放してしまうことも
もう慣れっこになった
気持ちを見ようと何度も何度も
晴れない霧をかきむしるように
僕を繫いでいるように見えた糸はあまりにももろくて
作り上げた理想だけがすべてだった
悲しいよ
何を聴いても思い出すのは君のことなのに
今ではどんな言葉も感情を表さない
僕の心に添わない
問いかけたい君がいない
問いかける力も僕にはない
救われたい一心で答えを探すんだ
ない場所探して疲れて眠る
逃げて
ぜんぶ決して
記憶も
孤独も
あったかいものが欲しかっただけ
手に入らないものを望んだ
春は君をさらっていった
-------------
(まさかの一人称「僕」
この流れからして春先に失恋したんやろうな。)
----その3----
音もなく消えてしまいたい
あなたに見られることもなく
誰にも気付かれず
ふとした拍子思い出された像に
少しだけ感傷に浸られたい
もう二度と触れられぬものと
悔いとともに慈しみを込めて
名前を呼ばれたい
影もなく溶けてしまいたい
大地に重なり雪に混ざり
星にも照らされず
あなたが忘れた分の思い出を
ガラスの床に閉じ込めて見ていたい
同じようにどうしようもなく
行き場を失っている愛情を
わたしが溶かしてしまいたい
-------------
(注文の多いポエムですね。)
----その4----
想いを綴って
繰り返して
時間は流れて
僕は残される
きれいだと思わないか
ただひとり立ち尽くす僕
無限が垣間見えて
永遠を感じる
恋だ
誰かを想うことだ
僕が見ているのは君だ
-------------
(やっぱりなぜか「僕」。もうそろそろキツイ)
25歳になった自分からはまるで他人の書いたものを読むようでした。こんなもん書いていじけてたからヤンキーにいじめられたりしたのかな、はい、そろそろ自虐ネタも終わりにしよう。誰しもきっとこんな時期があったはずやで胸張って生きていこう!
Thursday, 6 November 2014
日記を書く場所を見つけた
昨日の朝、なんとなくふらふらっと二週間ぶりくらいにポストを空けたら小包が届いていた。白い小ぶりな包みには日本語でも英語でも中国でもない言葉が書かれていて、よく読んだらイタリア語で、イタリアにいる友人が送ってくれたものだと分かった。分かった途端天気のいい朝に朗らかな陽気を浴びながらはらはらと涙を零しそうになった。思いがけぬことに対するうれし涙と、最近涙もろいせいで涙腺あたりにストックされていた涙とが混ざって溢れてきた。
誰かがわたしのことを覚えてくれているというのはとても嬉しい。研究室で小包を空けてみると、そこには蛍光色に近い明るい黄緑の、フェルト生地で覆われた手帳サイズのノートが入ってあった。表紙に書かれた「FIRENZE」という文字をのぞいては、どこにでも売ってそうなただのノート。でも友人が土産物屋であれこれ悩みながら選んでくれたのかなあと考えるとこれまた嬉しくて目から水分が飛んでいく。
こういう風に生きていけたらいいと思った。遠くにいる友人を時々思い出し、そして心を込めて小包を贈り、贈られ、肩の力をふっと抜かせ合いながら。
かくしてわたしは日記を書くことのできる場所を見つけた。思ったよりも早く見つかった。真っ白のページに、万年筆の先を滑らせてゆくと、さらさらとした書き心地に気分がよくなる。とはいえこうやってパソコンに向かっていると画面に文字を浮かべさせたくなるのだよネ。
こういう風に生きていけたらいいと思った。遠くにいる友人を時々思い出し、そして心を込めて小包を贈り、贈られ、肩の力をふっと抜かせ合いながら。
かくしてわたしは日記を書くことのできる場所を見つけた。思ったよりも早く見つかった。真っ白のページに、万年筆の先を滑らせてゆくと、さらさらとした書き心地に気分がよくなる。とはいえこうやってパソコンに向かっていると画面に文字を浮かべさせたくなるのだよネ。
Sunday, 26 October 2014
日記を書く場所を探している
一年半くらい使ってたブログサービスが今年いっぱいで終わってしまう。日記的な感じで気軽に残せて月ごと見返せて非公開にもできるから個人的にはすごく使いやすかったから残念。これから日記とかメモとかどうしよう、ノート買ってアナログに戻るか。なぜノート派じゃなくなったかというと、文房具屋さんとか雑貨屋さんとか行ってかわいいノートがありすぎて一つのノートを選べなかったから、なんだけど幾つか買ってストックしておけばよかったのかな。でもノートは書き始めるときにこそ買いたいよね。ためておくとそのうちデザインが気に入らなくなったりして使わずそのまま放置もありうるよね。昔中国に行ったとき、さびれたスーパーの文具売り場で変なイラストが表紙になってるノートとか、昔の小学生が使ってた練習帳みたいなんをモジったデザインのノートとか探して集めるのにハマったことがある。あのとき買ったノートは結局使わないうちに引っ越しやらなんやらしてどっかに行ってしまったし、かろうじて残ってるちっさいメモ帳ももう自分では使わんからフリマで売ろうかなと考えたりしているところ。なんでも買いためればいいというわけではなさそう。味噌とか。
だから新しい日記帳を買うかどうか、一つを選ぶことができるか分からないけどやってみて、落ち着くまではbloggerとかで代替しよう。ワードでいいじゃんってのはまた違う、日付ごとに整理したりするの、それこそ面倒だし、自分の打った文字がネットの画面上に綺麗に並んでいるのを見るのが快感だったりするので、よいサービスがあればいいけど、なければ適当にこことかに残しておけばいいか。
だから新しい日記帳を買うかどうか、一つを選ぶことができるか分からないけどやってみて、落ち着くまではbloggerとかで代替しよう。ワードでいいじゃんってのはまた違う、日付ごとに整理したりするの、それこそ面倒だし、自分の打った文字がネットの画面上に綺麗に並んでいるのを見るのが快感だったりするので、よいサービスがあればいいけど、なければ適当にこことかに残しておけばいいか。
Monday, 13 October 2014
誕生日にパン
最近25歳になった。なったらしいが実感はない。人から25歳おめでとうなんていわれると、ん?え?わたし?ってなる。でも25歳になったらしいので次から履歴書には25歳と書かなければならない。25歳になったばかりの私はパンを焼いていた。夜中家に友人が遊びに来ていて、彼らをほったらかしてパンを捏ねていた。捏ねていたというかボールに叩きつけていた。パン作りを始めたころ、ネットやらレシピ本やらで書かれている捏ね方を参考にして捏ねていたが、捏ねども捏ねども生地はまとまらず、グルテン膜のできたハリのある滑らかな生地からは程度遠く、表面がぼこぼこしててぶちぶち切れる情けない生地にしかならなかった。生地づくり5回目くらいのとき、今日もどうせだめなんだろうな、おいしいパン焼けないな、粉もったいない、悔しい悔しいと思って、なかなかまとまらないべちべちゃした生地に嫌気がさし、投げやりになって思いっきりボールに叩きつけてたら、不思議とだんだん良い感じの生地になり始めた。それ以来、私のパン作りの捏ねスタイルは基本、たたきつけることが中心になっている。ほぼ捏ねてない。あとになって、そういうやり方もあるもんなんだと知った。
覚えておきたくなった、能登でパンを焼いている古川一郎さんの言葉
記憶に残るパン
国によって、文化や風習が異なるように、パンもその国によってちがいます。
僕が思うに、主食がお米である僕達日本人と欧米の人とでは、体が求める水分量が違うように思います。ですからパン自体に求める水分量(しっとり感)はとても大切だと思います。
よく本場ヨーロッパの味!という感じの固いパンがありますが、本当においしいのでしょうか?
ひとくち食べた瞬間、「これはおいしいのかな?」っと考えてしまうパンは、本当においしいパンなのでしょうか?
僕は口に入れた瞬間『美味い!!」と体中にインプットされるような、そんなパンを目指しています。
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