Friday, 10 February 2017

2月5日、横浜にて。

先日、友人夫婦の結婚式に参加した。

この二人が結婚式をするとは、少し予想外だったのだが、察するに両家ご両親からのプレッシャーがあったのだろう。でもそれだけでもないようで、新郎は最後の短いスピーチで、結婚式を準備する過程で新郎自身が見出した“結婚式をする理由”を語ってくれた。自分たち二人には、これから先どんな人生が待っているか分からない。幸多きことを望むは当然だが、二人のうちどちらかが―特に新郎が思うところでは自分自身が―もう一人を残して死んでしまうようなことがあるかもしれない。そうなってしまったときに、残された人を支えてくれる親しい友人たちの存在が、必要不可欠になるだろうと。だから、二人に何が起きたとしても、どうか末永く見守っていてほしいし、困ったときには、ここにいる皆とお互い救いの手を差し出しあいたいと、この場を借りて伝えたいのだと。

こうやって書いてみると、私の貧相な文章力ではその場でスピーチを聞いた時の感動が伝わり切らないと思うのだが、私は胸を打たれてしまい。気づいたら涙がちょちょぎれていた。そんなことを言いそうにない人だったから余計かもしれないが、私自身もそこで気づいたことがあったのだ。大切な友人の結婚式というのは、彼ら二人だけのものではないのだなということ。その結婚式は、私と彼らの結婚式でもあったのである。かなり語弊のある言い方をしてしまったのだが、もう、あの場にいた人たちは、みんなあの夫婦の人生に良くも悪くも巻き込まれているのだ。二人はあの場で夫婦の契りを交わし、私たちとあの二人は、友情の契りを交わした。そんな気がしたのだった。

損得勘定なしで付き合える友人というのは得難く、いれば幸福だ。普段から見返りを求めて何かをするわけではないが、その時々で、困っていれば助けたいと思うし、困っていたら助けてくれるような。そして時折、楽しいことを分かち合えるような。恐縮ながら、あの日私は、そんな友愛に満ちた関係を一つ結ぶことができたように思えて、改めて祝福と感動を覚えたのでした。

Friday, 13 January 2017

「引揚港」としての故郷の歴史に触れつつ

年末年始は相変わらず風のように過ぎ去った。大みそかの数日前からうちに泊まりに来ていた友人とちょっとした口喧嘩をして拗ねているうちに2017年と相成り、結局一年の振り返りや来年の抱負などといった話はせずじまい。そして世間とは逆行するかのように正月3日から実家に帰省し、6日まで居座る。

家族仲がいいわけではなく、実家の居心地もすこぶる悪いのであるが、今回はどうしても帰省しておきたい理由があった。戦後の引揚と故郷田辺の文里港に関する何かしらの資料を集めておきたかったのである。結論から言って、地元の図書館で調べられる以上のものは取り立てて何も得られなかった(当時のことを知る人を見つけて話を聞くなどまではできなかった)。しかし、市がまとめて出版していた元復員兵の回想記集や、引揚事業に関する資料が得られて、特に回想文の中には読み物としておもしろいものがあり、わざわざ飛行機に電車を乗り継いで帰った甲斐があった。

今でも地元の田辺市立図書館で購入できるのが、引揚50周年を記念してまとめられた『引揚港田辺』という書籍。すでに販売されてはいないが、図書館で複写できたのが40周年記念の際に編纂された『引揚港田辺(海外引揚四十周年記念)』。この中でも特に興味のあった台湾からの引揚者の回想文の部分と、そのほかに故郷の土地を目前にして引揚船内で起きた“リンチ”について詳細に描写していた奥村明氏の文章を複写申請した。あとで調べてみると、この奥村さんは『セレベス戦記』という自身の従軍記録を出版していた。どおりで、引揚記念書籍の中の回想記もこなれた文章で、まるで小説を読んでいるかのような心地がしたのだ。詳しい来歴は分からないが、戦前は物書きの筋の人であったりして?

回想記の多くが、上陸後の検疫でしらみ対策のDDTを「ぶっかけられた」ことや、田辺の地元民の温かい歓迎に涙を流したこと等々、どちらかというとほのぼのとしてしまうようなエピソードを徒然と書いてあるのに対して、奥村さんのは少し違っていた。同じように「祖国」を見ることのできた感慨のようなものや、帰ってこられなかった戦友たちを思う悔しみを語る一方で、敗戦してなお私欲に走る軍上層部や、兵士の任を解かれたはずの復員兵たちの間に影を落とす軍隊の悪質な構造を、冷静にまなざし、指摘しようとしている。以下、少し長いがリンチについての描写を引用。

「…しかし、平和で美しい紀伊半島を目前にした田辺港は、南方各地よりの復員船がひしめいており、下船は順番を待って、今日、明日は船中で過ごさなければならぬという。すぐ下船できると思っていた私たちはがっかりした。気ははやるばかりで、何ともしようがない。時間は錆びついたように長く、耐えがたく鬱血した気持であった。/そのあせりと無聊に、人心の亀裂が生じたのにちがいない。リンチ事件がおこったのは、その夜のことである。」

「テントのそとで、また、騒ぎが起こった。「岩田兵曹長! マカッサルへ上陸したときのこと、おぼえているか。よくも、おれたちをひどい目にあわしやがったな。貴様! この野郎」 罵声と殴打の音。……「ざまァみやがれ!」そんな捨てゼリフがきこえ、あとは静かになった。ふくろだたきにされた兵曹長が濡れた鉄板の上にのびている姿を想像し、(たぶん鬼兵曹長だったんだろう。相当恨まれていたらしいな)と、私は他人ごとのように考えていた。/遠くに近くに、ざわめきがきこえた。罵声、肉を打つ鈍いひびき、うめき声。――私は頭をもたげた。これはいけない。あちらでも、こちらでもリンチがはじまっている。中尉を皮切りに、リンチの連鎖反応をおこしたのか。私は関係ない。…」

筆者・奥村さんも少尉であったがために結局リンチの標的にされたのだが、この事件の原因は戦争中の軍隊における「私的制裁の悪習」とそれを暗黙裡に奨励する上層部や、下級者に強いられた上級者に対する絶対的服従精神の根拠である軍人勅諭にあると語る。

「戦争が終わり、命令系統の階級をなくしたかつての上官がドレイ的な境遇に耐えてきた下級兵士の報復をうけたのも、当然のことであろう。だが、一部扇動者の発作的なリンチ事件が、母国の山河を前に、燎原の火のごとくひろがる形勢は、なさけないことだ。それは爆発であり、狂気であり、無意味な破壊に通じるだけのものであった。わるいのは、権力におごって兵士たちをドレイあつかいした上官だけではない。国をあげての富国強兵の教育方法そのものに陥穽があった。前近代的な日本の体制そのもののありかたを、あらためて批判しなければならないであろう。私はすぎゆく暴風を待つかのように、じっと横たわっていた。両耳をふさいで、耐えていた。」

復員兵の身体に染み込んでいる暴力の記憶、それが、ふとしたことで爆発する。なんとなく、『仁義なき戦い』の冒頭で復員兵だった広能昌三らが広島のバラック立ち並ぶ闇市で殴り合うシーンが連想された。暴力の温床、戦前と戦後の連続性。

その後、一夜明けてリンチ騒ぎなどなかったかのように皆ケロッとした顔で肩を並べて上陸を喜んだそうだ。さらに、無事に復員はすんだが、上陸時に軍用物として運び出すよう命令されたものの中にセレベス(セレベスは植民時時代の呼び名で、現在のインドネシア・スラウェシ島。)から積み込んだコーヒー豆の詰められた袋があり、それがなんと闇市で売りさばかれ、船長が取り調べを受けることになったとか。これに関して奥村氏、「悪党の片棒をかつがされていた」と言って怒りをあらわにしている。

上述のリンチについては、同回想文集の中で竹本節三氏も書いている。竹本さんの回想では、上陸後も文里港付近の松林の陰で将校たちが被害を受けたようである。

「下級の兵たちは、将校にたいして、根の深い宿怨をもっていた。…ニューギニアで、生きるか死ぬかの戦時生活をしていたときのことに関わってくる。将校とくに上級将校たちが軍制上の権限を、無拘束な私権に転化させて、いかに下級兵を犠牲にして恬然としていたか、そんな事例が枚挙にいとまないほど多かったことを、私はよく知っている。…乗船中に、以前から心中に鬱屈していたこの問題が、メタンガスが爆発的な張力をつよめてくるように、急に膨張してきた。上陸し、解散してしまえば、この問題を解決すべき機会はまったくなくなってしまう。…略」
ネットでちらっと検索してもこの類の話は複数ヒットするので、復員船にめずらしいことではなかったのだろうが、これまで戦争関連の歴史書物、小説とか手記とかあまり読んでこなかったので、衝撃的な話だった。このほかにもまだ資料を読み込めていないので、時間を見つけてまとめようと思う。

複写申請するとき、普段はこんなド田舎の図書館で古い書籍の複写を何十枚も頼まれることはないのだろうが、一行、また一行、さらには二枚目の複写申請用紙へと必要なページ番号を書き入れていく私の様子を、司書の方が不思議そうに見ていることに気が付いた。複写を終えて私に印刷物を手渡してくれたのちも、その本にわざわざ東京から訪れて複写するほど価値のあることが書かれているのかと気になったのだろう、同僚と思しき司書さんと二人してページをめくりめくりひそひそと話をしていた。京都の舞鶴や佐世保などとくると引揚港として有名なのだろうが、田辺は意外と盲点であるようだ。地元の人ですら、その記憶をとどめている人も、歴史として知っている人も少ないように思う。

で、私はその貴重な?回想記集と当時の引揚援護局に関する資料を手に入れたのだが、手に入れてそれを読む以上のことができておらず、ここからなにか発展させることができるかどうかは不明だ。恋人の祖母は戦前台湾に移住しており、戦後の引揚時に帰り着いたのが田辺の文里港であったのだが、彼女の帰国に直接関わるような記録は見つけられなかった。昭和21年2月20日から6月24日までの約5カ月の間に輸送船63隻が入港したとのことで、そのうちどの船に恋人の祖母が乗っていたのかまでは残念ながら調べがつかない。昔の文里港付近には記念碑が建てられてあり、今回は見に行けなかったのが心残り。

引揚50周年の書籍が平成8年に出版されたのち、引揚60周年であるはずの平成18年(2006年)には何もなかったのだろうか。来年になれば引揚70周年だ。当時のことを語れる人はますますいなくなる。感傷的な気持ちになってしまうのは避けがたい。

今年もどんな一年になるものか、さっぱり見当がつかないが、好奇心を忘れず、気になることをおざなりにせず調べ、学びの多い一年にできればと思う次第です。なんでもメモを取る癖を。そして研究者気取りもたまには役に立つことがあるだろうし、コツコツといろんな資料を集めよう。

Monday, 21 November 2016

映画『湾生回家』はまだ観てないですがトークイベントに行ってきました。

先日、虎ノ門の台湾文化センターで映画『湾生回家』のトークイベントがあって、参加してきた。てっきり作品上映もされるもんだと思って前日の公開初日には映画館に行かなかったのだが、上映はなかったのでひどく後悔した。早とちりはよくない。

ジャーナリストの野島剛さんがコーディネーターを務め、映画の元となった書籍『灣生回家』を執筆するとともに多くの「湾生」たちを追いかけてきた田中実加さんと、映画にも登場する湾生のお二方が登壇し、貴重なお話を聞かせてくださった。

実は「湾生」という言葉を知る前から、私は台湾で生まれ育った日本人の歴史に関心を持っていたのだが、それには私の生まれ故郷である紀伊田辺と、いまお付き合いをしている恋人の存在が関係している。紀伊田辺の市街地からは少し離れた海岸寄りの田辺湾を臨む一帯に文里という名の地区があるが、そこには文里港と呼ばれる港がある。幼い頃の記憶では、船着場というよりも、おいやんら(田辺弁で「おじさんたち」の意)が釣りを楽しむ波止場という印象が強かったが、ここは古くから海の玄関口として利用されてきた場所でもあった。さらに文里港は、第二次世界大戦後に戦前の日本の植民地や、戦地からの引き揚げ者たちを乗せた船を迎え入れた港でもある。つまり、植民地であった台湾からの引き揚げ者の多くがこの文里港に辿り着き、ふるさとの土地として最初に足を踏み入れたのが紀伊田辺であったのだ。

この歴史を知ったのはつい二、三年前のことだ。私の恋人は広島出身で、地元には両親と祖父母がご健在だが、母方のおばあさんが実は台湾からの引き揚げ者だった。彼女もまた、田辺の文里港に降り立った引き揚げ者の一人だったのである。不思議な縁に心を震わせながらも、私は彼女の背後にいる数百万人の引き揚げ者たちの姿に想いを馳せた。彼ら、彼女らの目に映る田辺はどのようであったのだろう。どのような気持ちで、あの場所に降り立ったのだろう。そして田辺の人たちはどのように引き揚げ者たちを迎え入れたのだろう。仕事の忙しさを言い訳に深く調査することもなくうやむやにしていたのだが、今回トークイベントで湾生のお二人の話を聞くうちに、当時の田辺のことや、恋人のおばあさんのこと、あるいは家族史のようなものについて、ますます知りたいと思うようになった。

おばあさんは現在寝たきりで会話も難しいらしく、孫の恋人とはいえ見ず知らずの若造が病室までお邪魔するのは気がひける。とはいえ、歴史の生き証人から話を聞く機会は、今を逃せばもう二度とないかもしれない。ご両親に丁重にお願いしてみるのもありかもしれない。以前、恋人のお母さんづてで聞いた話では、おばあさんは生まれは日本で、幼少期に両親とともに台湾に渡ったそうだ。おばあさんの父親にあたる人が台湾鉄道の職員で、台中駅と周辺の駅に務めて何度か引っ越しをしたが、終戦時に住んでいたのは台中の緑川付近で、おばあさんは当時の台中第一高等女学校に在籍していた。妹さんは台湾生まれのまさに「湾生」である。妹さんが生まれた時、住んでいた場所の近くに「香山」という名の山があり、それにちなんで香さんと名付けられたそうだ。台中に住んでいた頃の家は立派だったそうで、玄関の門には大きなパパイヤの木が両側に一本ずつそびえていたとのこと。今回、トークイベントで話を聞いたお二人は台北や花蓮に住んでいたため、おばあさんのお話から想像するものとはまた違った植民地台湾での日本人の当時の暮らしぶりが浮かび上がるようで、非常に興味深かった。花蓮は開拓移民が多く、お金も住むところも何もない状態で、荒れ果てた土地をゼロから耕し、先住民との衝突も自分たちの力だけで解決しなければならなかった。様々な苦労を乗り越えて築き上げた暮らし、財産、人間関係をすべて手放して引き揚げなければならなかった、その悲しみは生半可なものではなかっただろうと想像する。

「湾生」の物語は、大きな歴史からはこぼれ落ち、世間から忘れ去られがちな小さな歴史の代表例だ。植民地主義の善悪に関する批判を超えて、語り継がねばならない歴史。また、今回のトークイベント内容のキーワードでもあった「ふるさと」という概念、湾生にとっての「ふるさと」はどこか?という問いについて、参加者たちの関心が高かったように思う。アイデンティティと結びつく問いだ。登壇していたお二人はこれまでの人生で何度も悩まれてきたことだろう。そんなデリケートでプライベートな問いをあのような公の場でたずねるというのは気がひけるものだが、お二人は堂々と話してくださった。話題性はあるかもしれないが、こういう質問が出るとなんだかナンセンスだなと思う自分もいる。一体、質問者はどんな答えを期待しているのだろうか。「それでもやっぱり私は日本人です」とか「台湾こそ故郷であり、心は台湾人です」とか?私は、小さな歴史、個人の歴史を語り継ぐことは大切だと思っているし、人の心に訴えかけるものがなければ語り継ぐことは難しいとも思う。だからこそ、こんな風にしてドキュメンタリー映画が制作されて、日本でも上映され、多くの人がそれを見て感動して台湾と日本の歴史や大きな歴史に翻弄されて生きてきた人々の存在に目を向ける、という流れができればそれはそれで素晴らしいことだとも思う。がしかし、そのルートのどこかに恣意的なエンタテイメント性があって、私は罪悪感のようなものを拭えずにいる。うまく言えないのだが、私たちはただただ物語だけを消費して感動や涙にして満足しているような。この話だけに言えることではないのだけど、ふとこんなことを考えた。
いずれにせよ、次に地元に帰るときにはゆっくりと資料館などを巡りたいと思う。

Saturday, 1 October 2016

最近観た&そういえば観たな映画メモ

最近観た&そういえば観たな映画メモ


『超高速!参勤交代』
どの役者さんも個性があっていい。ドラマ「相棒」枠の時間帯の雰囲気がした。夜8時くらいからやってる時代劇の感じ。地方の弱小藩・湯長谷藩がたった5日で江戸に参勤せよと無茶振りされる。湯長谷は現在の福島県いわき市のあたり。台詞の一部には3.11の原発事故とそれによる放射能汚染の問題を連想させるものがある。「土とともに生きる」「土を守らねばならない」のような。藩主はその土で百姓が丹精込めて作った大根の漬物が大好物。幕府にもそれを献上するほど。

幕府老中の松平なんちゃらがいわゆる悪代官的な役回りで、とことん悪知恵を働かせて弱小藩の武士たちを困らせる。藩主・内藤なんちゃらは民に慕われ、常に民のことを第一に考える優れた人物。徳川吉宗に向かって、「上に立つものが愚かであれば民が苦しむ」的な言葉をバンっと言い放つところかっこいい。全体としてはもちろんコメディなんだけど、細かな台詞(上述)にちょいちょい引っかかるというか、気になってしまうところがあり、なんとも皮肉めいた感じがする。3.11後、事故の対処に右往左往した政府への批判ととらえることもできるかもしれない。できれば、どんなに汚染された土地だとしても我々はその土地に根付いてそこの土とそこで育つ作物とともに生きねばならんのだ、的なメッセージであってはほしくない。でもまあ、気軽に観る感じの映画だ。


『超高速!参勤交代リターンズ』
やっぱり猿の菊千代かわいい。深田恭子もかわいい。一作目もそうだったけどエンドロールで流れる曲だけはとってつけた感あって残念。二作目の方が立ち回りが多かった。湯長谷藩は結局幕府に利用されてるだけで、それでも何が何でも藩は守り通す、潰されてたまるか、と必死になる人たちを観ていたら、だんだん「そこまでして守る必要もないのでは」というような気持ちになってきてしまった。映画だし、ハッピーエンドになるのは分かっているからそのままでいいんだけど、現実だとしたら、藩を守って死ぬより生き抜く方がいい。私ならそうする。笑うだけ笑っておもしろかったねって言って映画館をあとにすればいいだけの作品のはずが、むやみに深掘りしてしまいそうになる。むだだな。


『俳優 亀岡拓次』
安田顕さんほんまいいですよね。ストーリーよりもカメラワークとか、現実と妄想?の継ぎ目のない切り替わり方とかが面白かった。


『シン・ゴジラ』
いろんな人がいろんなところで色々言ってるから自分の感想を書くのは気がすすまないんだけど、私はすごい好きだった。旧作はたぶん小さい頃に観たことあるけど全く覚えてない。モスラはあのなんか双子みたいなのと歌だけ覚えてる。あと家にモスラの卵のおもちゃがあったな。ちなみに私はいろいろあるシン・ゴジラ関連の記事の中でもこの記事とかに同感した。
“現実対虚像”がテーマだったけど、この作品自体がものすごい虚像だったというか、壮大なギャグだったというか。石原さとみが一番の虚像だったんじゃないか?それより台詞が長いし早口だし、ものすごい古い映画を観ているような気持ちにもなった。あと、何も知らずに観たので、エンドロールのキャストの最後の方に「野村萬斎」って出てきて「はっ?えっ?どこに?」ってなった。答えを聞いて劇場で爆笑したのでした。


『ディアスポリス(劇場版)』
ドラマがめちゃくちゃツボでおもしろかったので期待して観に行ったが、ちょっと思っていたのと違った。でもおもしろくなかったわけじゃない。ちょっと面食らった。ドラマは最終的に不法滞在者vs外国人排斥組織っていう構図があって比較的わかりやすく、事件がおきるごとにそれを解決していくサスペンス感覚で観ることもできたんだけど、映画の方は少し違った。ラストの海辺のシーンなんかは特にフィルム・ノワールのような感じがしたし、何がいいとかわるいとか何を守るとかでもなくなっていって、ぐじゃぐじゃに汚くなった人間が虫けらのように殺されていくのをただただ観ているだけのような。

日本の警察が出てくるでもなく、どちらかというとアウトローな日本のヤクザが登場して久保塚と組む。久保塚はどんな悪い事をした奴でも(不利な状況に置かれている外国人なら)殺そうとはしないけど、ヤクザにはそういう信念はどうでもよくて、仲間を殺した奴は殺す。それぞれ自分の道理で生きている。神を信じていたがために命が危うくなり祖国を追われた少年にも宗教の道理があったはずだが、よりどころであった神にすら見放されて(神を信じることができなくなった?)やけっぱちになり人を殺しまくる。なんだろう、そこにはもはやルールもないし、人道みたいなものもないし、でもなぜか友情だけはある…。どう消化したらいいか分からないまま映画を見終えて、相方とはとりあえず「ハマケンよかったね」みたいな会話で〆た。


ディアスポリスに出てくる裏都庁の裏都知事の設定、見た目(白髪のロン毛)が台湾の独立運動家、革命家として著名な史明に重なるなあとずっと思っていたのだがモデルにしたのかどうか真相は分からない。漫画が原作らしいので、漫画家さんに聞いたりしたら分かるのかな。

他にも観てるはずなんだが、すぐにメモしないと忘れる…。

Monday, 26 September 2016

リップヴァンなんちゃらのアレがとてもよかったです

私が映画を好きな理由のひとつは、物語の中へとトリップする感覚がたまらないから。いつまでもその音と映像の世界に浸っていたい、と思わされるような作品があれば、それは私にとっていい映画です。けれどもその世界が“いつの間にか終わっていた”と感じられるようであれば、なおさらいい。

今夜観たのは岩井俊二監督の『リップヴァンウィンクルの花嫁』。岩井作品は他に『花とアリス』しか観てない。『リリィ・シュシュのすべて』とか『Love letter』とかずっと気になってるけどまだだ。ますます観たくなってきた。ふとしたことがきっかけで普通に暮らしていたはずの女の子の人生が狂ってしまう。いままでの生活が足元から崩れ落ちて、何もない世界に放り出される。絶望とか孤独みたいなものしか残っていないと思える状態から、それでも自分の足で立って歩こうとするたくましさ、ってのが、月並みな言い方しかできひんけど、すごく胸に刺さる。でも、こういうときのたくましさとか強さは、それらの言葉が本来人にイメージさせるような激しいものじゃないんよな。柔軟さとか、あるいは攻めじゃなくて受け止める方の強さだったりする。私は『百万円と苦虫女』を思い出したんだけど、いろいろ総括して考えてみると私が感動したり憧れたりする強さやたくましさは、とどまるのではなくて漂い続けること、その姿勢、あるいはそうなることを素直に受け入れること、であるのかなと思えた。

挿入歌、メンデルスゾーンの『歌の翼に』も、とてもいい。私の大好きな曲だ。昔、声楽に通っていたころによく歌った。軽やかで、やわらかい。この曲が観客をあの不思議な洋館へといざなう。そこには花嫁が二人、七海と真白の二人だけの世界、オレンジ色の明かりに照らされながらヴェールをなびかせて踊る。幸せでたまらないと思う。幸せのかたちってもっと自由なんだな。私が思っているよりも。それは男女が結婚することでなくてもいいし、家族に囲まれて暮らすことでなくてもいい。切ない幸せがあってもいいし、それが続いても続かなくってもいい。なんだか私ももっと身軽になりたいな、と思ったりした。

下調べをせずに、とりあえず黒木華と綾野剛が出てるという情報だけで(綾野剛が好きなので)選んだのだが、実は同じ二人が主演してた『シャニダールの花』とごっちゃになってて、「あれ、これいつになったら二人がくっつくの?」と置いてけぼりになりかけたのでした。でもそんなんすぐにどうでもよくなった。Coccoの自然体のような演技もすばらしくて、クラゲの部屋でウエディングドレスを着た二人が横になっているシーンが忘れられない。

ただのべた褒めになってしまった。鑑賞記録だし、まあいっか。
しばらくウエディングドレス着れそうにないし、私も試着と写真撮影だけしに行こうかな…笑 それはそれでたぶん幸せだ。