私が映画を好きな理由のひとつは、物語の中へとトリップする感覚がたまらないから。いつまでもその音と映像の世界に浸っていたい、と思わされるような作品があれば、それは私にとっていい映画です。けれどもその世界が“いつの間にか終わっていた”と感じられるようであれば、なおさらいい。
今夜観たのは岩井俊二監督の『リップヴァンウィンクルの花嫁』。岩井作品は他に『花とアリス』しか観てない。『リリィ・シュシュのすべて』とか『Love letter』とかずっと気になってるけどまだだ。ますます観たくなってきた。ふとしたことがきっかけで普通に暮らしていたはずの女の子の人生が狂ってしまう。いままでの生活が足元から崩れ落ちて、何もない世界に放り出される。絶望とか孤独みたいなものしか残っていないと思える状態から、それでも自分の足で立って歩こうとするたくましさ、ってのが、月並みな言い方しかできひんけど、すごく胸に刺さる。でも、こういうときのたくましさとか強さは、それらの言葉が本来人にイメージさせるような激しいものじゃないんよな。柔軟さとか、あるいは攻めじゃなくて受け止める方の強さだったりする。私は『百万円と苦虫女』を思い出したんだけど、いろいろ総括して考えてみると私が感動したり憧れたりする強さやたくましさは、とどまるのではなくて漂い続けること、その姿勢、あるいはそうなることを素直に受け入れること、であるのかなと思えた。
挿入歌、メンデルスゾーンの『歌の翼に』も、とてもいい。私の大好きな曲だ。昔、声楽に通っていたころによく歌った。軽やかで、やわらかい。この曲が観客をあの不思議な洋館へといざなう。そこには花嫁が二人、七海と真白の二人だけの世界、オレンジ色の明かりに照らされながらヴェールをなびかせて踊る。幸せでたまらないと思う。幸せのかたちってもっと自由なんだな。私が思っているよりも。それは男女が結婚することでなくてもいいし、家族に囲まれて暮らすことでなくてもいい。切ない幸せがあってもいいし、それが続いても続かなくってもいい。なんだか私ももっと身軽になりたいな、と思ったりした。
下調べをせずに、とりあえず黒木華と綾野剛が出てるという情報だけで(綾野剛が好きなので)選んだのだが、実は同じ二人が主演してた『シャニダールの花』とごっちゃになってて、「あれ、これいつになったら二人がくっつくの?」と置いてけぼりになりかけたのでした。でもそんなんすぐにどうでもよくなった。Coccoの自然体のような演技もすばらしくて、クラゲの部屋でウエディングドレスを着た二人が横になっているシーンが忘れられない。
ただのべた褒めになってしまった。鑑賞記録だし、まあいっか。
しばらくウエディングドレス着れそうにないし、私も試着と写真撮影だけしに行こうかな…笑 それはそれでたぶん幸せだ。
Monday, 26 September 2016
ボクシング日記:小指がだめです
ここ二ヵ月くらい、実はボクシングの練習を全然できていなかった。というのも、小指を痛めてしまったせいだった。前回の練習の時にマスボクシングをやっていて、相手のパンチを左手で払おうとしたときに小指に激痛が走ったのである。まあそのうち治るやろと思っていたら全然治らず、整形外科に行ったら「捻挫」と診断された。地味だ。地味ながら捻挫は下手すると骨折よりも厄介で治りが悪いらしく、処置は早めにしっかりと、ということで左手の小指と薬指に固定具を添えて包帯でぐるぐる巻きにされた。そうやって一ヵ月過ごしたのちも痛みが残り、ビビっていた私はなかなか練習に参加できなかったのです…。
スポーツに怪我はつきもの。それはよく言われることですが、万年文化部だった私からすればそんなの非日常!!中学生の時に体育の授業でバスケしてて中指骨折したことあるけど、あの時も相当ビビッてしばらくバスケットボール触りたくなかった…そもそもスポーツマンにはそぐわない性格なんだと思う。でも今回は、左手が使えない間に右手だけで練習したりもしたのだから、少しは成長したんじゃなかろうか。そして二日前に久々の両手で練習!!サンドバックを打ちまくってやろう!!と意気込んでいった結果、マスボクシング中に再び小指に激痛が。わからんけど、本気でスポーツやるなら、こういう痛みには耐えてなんぼなんやろうと思われる。私はだめでした。だって痛いもん。小指が。痛いもん。
それにしても、物を掴もうとするたびに痛いので困ります。ボクシングで怪我しないとか不可能に近いと思うので、面白いし楽しいけど、私にはボクササイズくらいがちょうどいいんだろうなと今さらながら気づきました。そう考えると『百円の恋』の主人公はすごいし、演じてる安藤サクラは実際に中学生の時だっけな、ボクシング経験あるらしいし、つまり安藤サクラはすごい!でも最近NHKでやってるドラマ『ママゴト』では彼女を含め出演者の広島弁があまり上手じゃなくて、というか広島弁のセリフに気を取られすぎて観ているこっちも内容を楽しめず、1話まで観てから続けられなかった。『ディアスポリス』の映画にちょい役で出てたやつはよかったけどなあ。ってボクシングから話がそれた。
今後もちょくちょく続けたいけど、私の体が劇的に丈夫にならない限り友人たちの中に混じってやるのは気が引ける。何か適度に体を動かせる機会が欲しいものだ。近所の体育館でやってる卓球に参加するか、前から興味のあるヨガを始めてみるか。そうやって続かなければ意味がないのだよなあ。万年文化部女子のボクシング日記は今後どうなる?!
スポーツに怪我はつきもの。それはよく言われることですが、万年文化部だった私からすればそんなの非日常!!中学生の時に体育の授業でバスケしてて中指骨折したことあるけど、あの時も相当ビビッてしばらくバスケットボール触りたくなかった…そもそもスポーツマンにはそぐわない性格なんだと思う。でも今回は、左手が使えない間に右手だけで練習したりもしたのだから、少しは成長したんじゃなかろうか。そして二日前に久々の両手で練習!!サンドバックを打ちまくってやろう!!と意気込んでいった結果、マスボクシング中に再び小指に激痛が。わからんけど、本気でスポーツやるなら、こういう痛みには耐えてなんぼなんやろうと思われる。私はだめでした。だって痛いもん。小指が。痛いもん。
それにしても、物を掴もうとするたびに痛いので困ります。ボクシングで怪我しないとか不可能に近いと思うので、面白いし楽しいけど、私にはボクササイズくらいがちょうどいいんだろうなと今さらながら気づきました。そう考えると『百円の恋』の主人公はすごいし、演じてる安藤サクラは実際に中学生の時だっけな、ボクシング経験あるらしいし、つまり安藤サクラはすごい!でも最近NHKでやってるドラマ『ママゴト』では彼女を含め出演者の広島弁があまり上手じゃなくて、というか広島弁のセリフに気を取られすぎて観ているこっちも内容を楽しめず、1話まで観てから続けられなかった。『ディアスポリス』の映画にちょい役で出てたやつはよかったけどなあ。ってボクシングから話がそれた。
今後もちょくちょく続けたいけど、私の体が劇的に丈夫にならない限り友人たちの中に混じってやるのは気が引ける。何か適度に体を動かせる機会が欲しいものだ。近所の体育館でやってる卓球に参加するか、前から興味のあるヨガを始めてみるか。そうやって続かなければ意味がないのだよなあ。万年文化部女子のボクシング日記は今後どうなる?!
Wednesday, 21 September 2016
気合いを入れてがんばるの巻
最近ブログの更新が滞っていたが、そうこうしているうちにアクセス数が謎の劇的上昇を見せ、普段は一日に一桁であったのが数百件になっている。どうやら、以前投稿した台湾ドラマ≪愛上哥們≫に関する記事が原因らしい。今月末から日本でも『アニキに恋して』として放送開始だそうで、タイトルを検索するとうちのブログがヒットするみたいだ。
台湾の友人にすすめられるがままに観始めてハマったドラマなのだが、ドラマのタイトルを自分で考えてブログで書いていたら、それが配給会社の目にとまった(?)らしく、使用許可がほしいとの連絡をいただいたのだった。そう、実はあのタイトルは私が考えたんですよ(ニヤニヤ)。いや、単に配給会社さんがすでに考えてあったやつが、ネット上のブロガー(つまり私)のものとたまたまかぶってしまったので、やむをえず許可をとることになった、という感じなのだと思うのですが、でも一台湾ドラマファンとして、また映像翻訳の仕事をやりたいなと考えている者としては、とっても嬉しかったのであります。今なら公式サイトで第1話が無料で見れるのでぜひ!
改めて日本語字幕付きで映像を観ながら、やっぱりすでにプロとして仕事をされている方の翻訳はすごいなあと敬服した。「我忍不住」というセリフを「胸がいっぱいで」と訳したりとか、「你再謹慎一點」を「用心に越したことはない」と訳したりとか…ちょっとした工夫かもしれないけど、それがなかなか思いつかないもの。語彙力、表現力を駆使することで、あの短い尺の中に原文の脚本が意味するものをきれいにまとめて入れる。字幕翻訳は奥が深い。これまで日本語字幕なしで観ることが多かったが、日本語字幕付きで観るとやはりいろいろ勉強になる。どんどん観ていこう。
とはいえ、自分も早く字幕翻訳の仕事がしたい。4月から通っていた字幕翻訳講座も9月頭で終わり、先日トライアルを一社受け終えたところだ。結果は一カ月後。狭き門のようではあるけれども、いろんなところのトライアルにチャレンジしてみようと思う。
台湾の友人にすすめられるがままに観始めてハマったドラマなのだが、ドラマのタイトルを自分で考えてブログで書いていたら、それが配給会社の目にとまった(?)らしく、使用許可がほしいとの連絡をいただいたのだった。そう、実はあのタイトルは私が考えたんですよ(ニヤニヤ)。いや、単に配給会社さんがすでに考えてあったやつが、ネット上のブロガー(つまり私)のものとたまたまかぶってしまったので、やむをえず許可をとることになった、という感じなのだと思うのですが、でも一台湾ドラマファンとして、また映像翻訳の仕事をやりたいなと考えている者としては、とっても嬉しかったのであります。今なら公式サイトで第1話が無料で見れるのでぜひ!
改めて日本語字幕付きで映像を観ながら、やっぱりすでにプロとして仕事をされている方の翻訳はすごいなあと敬服した。「我忍不住」というセリフを「胸がいっぱいで」と訳したりとか、「你再謹慎一點」を「用心に越したことはない」と訳したりとか…ちょっとした工夫かもしれないけど、それがなかなか思いつかないもの。語彙力、表現力を駆使することで、あの短い尺の中に原文の脚本が意味するものをきれいにまとめて入れる。字幕翻訳は奥が深い。これまで日本語字幕なしで観ることが多かったが、日本語字幕付きで観るとやはりいろいろ勉強になる。どんどん観ていこう。
とはいえ、自分も早く字幕翻訳の仕事がしたい。4月から通っていた字幕翻訳講座も9月頭で終わり、先日トライアルを一社受け終えたところだ。結果は一カ月後。狭き門のようではあるけれども、いろんなところのトライアルにチャレンジしてみようと思う。
Sunday, 31 July 2016
日曜の午後、暑い。
参議院選挙に東京都知事選と選挙が続き、今日は投票に行ってきた。参議院選挙よりもだるかった。宇都宮さんに期待していたのに、出馬を取りやめざるを得なくなってしまったことはいまだに悔やまれる。もやもやが晴れず、こういう時こそボクシング!なのに前回の練習で左手小指を捻挫してしまい、ますます気落ちする。どうしてもサンドバックを思い切り殴りたかったので、昨日は右手だけで練習に参加してきた。幾分か楽になった気がする。そして今日はもちろん右側だけ筋肉痛である。自分を幸せにするものは適度な運動と知識の吸収。呆れかえるようなニュースもあるが、心身の健康を保ちつつ、自分のペースで向き合っていくしかない。それにしても殴りすぎた右手が痛い。
Monday, 11 July 2016
参議院選挙と母のことから
参議院選挙が終わった。大雑把な結果だけ見れば、改憲派でほぼ三分の二の議席が埋まってしまったということで落胆の思いを隠せない。でも新潟、岩手、山形といった一人選挙区で野党共闘候補者が当選するなど、自民党の暴走に歯止めをかけるための希望も見えた。安倍首相は早速、改憲に向けた意欲とやらを示して満面の笑みだ。今回の投票前に、自民党の改憲草案に少しでも目を通したうえで自民党に投票した人がどれくらいいただろう?国民の自由が制約され、得体の知れない愛国心を強要するような内容だ。憲法第九条について注目されがちだが、それよりも草案で追加される緊急事態条項の方が懸念が大きい。緊急事態条項がなくても災害などの非常時に十分対応できるという考えの方が筋が通っていると私は思っている。権力集中に歯止めがきかなくなるような条項をわざわざ入れようとするのは絶対おかしい。自民党が勝手に作った草案にすぎないとはいえ、国会で多数の議席を占めているいま、実際に改憲案が話し合われることになっても多数の力で細やかな議論がないがしろにされて草案から進歩のないものが出来上がるとなれば大問題だ。最終的に国民投票になったとき、良かれ悪かれ何らかの意図があって憲法を改正するというのだから、国民の側はそこを理解して賛成か反対か決める必要があるし、政府はその判断の材料を十分に伝える必要がある。当たり前のことだが、問題は、こんな当たり前のことが今の政権、今の国民一人一人にできるのだろうかということ。特定秘密保護法を強行採決したような人たちが多数を占める国会で、きちんと審議が行われるのか?現政権を批判する人たちの胸にはそういう不信感があると思う(そもそもあの改憲草案を作り出すような思考回路の人たちで組織されている政党は支持しがたい)。さらには、投票すらいかず、あるいは投票にいく余裕すらないような毎日を送っている国民一人一人に、自分の頭を使って冷静に判断することができるだろうか?これは私自身にも、私の身近な人たちに対しても問うていることだ。
投票の前日、私は地元・和歌山にいる母親に電話を掛けた。投票に行こうねと声をかけるためだった。母は仕事で忙しいから行けるかどうか分からないと前置きしてから、行けたとしても知人に頼まれているから自民党に入れる、と話す。「頼まれたから」「付き合いがあるから」特定の政党に入れる。よくある話だが、これが地元の現状なのかと思い知らされて暗い気持ちにならずにはおれなかった。大学進学とともに県外に出たとはいえ、私自身、地元での自民党支持の根強さと、付き合いで投票先を決めるという悪習が当たり前になっていることは、十数年暮らす中で肌で感じて分かっていた。母がどの政党、どの候補者を支持するかということに関して、いくら娘とはいえああだこうだと無理やり考えを押し付けることはできないし、最終的に決めるのは個々人であると思っている。でも、自分で選挙の争点や、候補者の考えや、政策やらをあれこれ考えた末に誰に一票を投じるか決めたのであればいいが、そうでなくて単に他人から入れてと頼まれたから入れるというのなら、どうにも納得がいかない。たった一票(正確には選挙区と比例区で二票だが)の自分の権利を、他人にゆだねてしまう。ほんとのところ誰に入れたかなんて、自分で言わなければバレるものではない。なのに自ら思考停止に陥り、他人のすすめに応じてしまうのはなぜなのか?一昨日からずっと、このことを考えている。
正直なところ、今回、外から眺めている分には野党統一候補のゆらさんが票を伸ばしそうにも思えて、少しばかり期待していたのだ。自民王国の和歌山に変化があることを。私は確かに今の自民党の考え方とか、代表者である安倍さんのやろうとしていることには反対だが、自民王国の和歌山に変化があってほしいと願うことの裏には決して、自民党まるごとすべて、あるいは自民党の支持者すべてを否定し、この国から排除したいなんて極端な思惑があるからではない。私はただただ、母のような思考停止状態にある人が少しでも自分の頭で考えるようになってほしいと考えているのだ。それが良い変化だと思う。しかもそれは自民党以外の政党の議員を和歌山から国会へ送り出すことになるような大きな変化にもつながると思う。これは緻密な裏付けがあるわけではなく、経験からくる憶測に過ぎないのだが、長年の和歌山の自民党支持の厚さが示すのは(仮にあるとして)自民党や党議員の政策のすばらしさやビジョンへの圧倒的な共感であるというよりも、みんな付き合いというものに縛られているだけなのである。和を乱したくない、排除されたくないというような、消極的な人間関係の築き方が根っこにある気がする。自分自身が意識的に気を付けようとしている弱点もそこにあるからか、課題としてより鮮明に浮かび上がってくる。(とは言っても、ほんとにみんながみんな、心底自民党支持だと言うなら私のいま考えていることはすべて無駄なのですが)
なんだかんだうるさいことを言ったところで、私は地元を離れてもう十年近くになるので、実情をはっきりと把握できているわけではなく、内部の雰囲気もよく分からない。それに、母親は「毎日の生活に精一杯で世の中のことを考える余裕がない」と言ったが、そんな精一杯な状況を娘としてなにか手助けして改善してやれるかと言えば、自信をもってイエスと言えない。これはある意味、私が家族というものを遠ざけて遠ざけて、精神的にも経済的にも支え合えるような関係性を築けてこられなかった結果でもあるのだ。家族関係のようなとても小さなコミュニティや、そこでのコミュニケーションがうまく機能していれば、社会全体から見た時の個としてのふるまい方や意識みたいなものも、いい方向に成長していくのではないかと、少し唐突すぎるかもしれないがそんなことを考えていた。個として成熟していない人たちが、まやかしの個人の自由を掲げてすすんで孤立化し、かたや未成熟であるが故の不安にさいなまれてより大きなものに依拠したがる。その成熟のためには、いろんな要素が必要で、環境を整える必要もあって、その一つが身近な人たちとの損得感情のない友愛関係の構築なのではないか。ざっくりして抽象的なことしか言えないのが歯がゆいけど、こういうことを真剣に考えるなら、一度ゆっくり地元に戻ってみるのもありかと、ふと思ったのだった。
投票の前日、私は地元・和歌山にいる母親に電話を掛けた。投票に行こうねと声をかけるためだった。母は仕事で忙しいから行けるかどうか分からないと前置きしてから、行けたとしても知人に頼まれているから自民党に入れる、と話す。「頼まれたから」「付き合いがあるから」特定の政党に入れる。よくある話だが、これが地元の現状なのかと思い知らされて暗い気持ちにならずにはおれなかった。大学進学とともに県外に出たとはいえ、私自身、地元での自民党支持の根強さと、付き合いで投票先を決めるという悪習が当たり前になっていることは、十数年暮らす中で肌で感じて分かっていた。母がどの政党、どの候補者を支持するかということに関して、いくら娘とはいえああだこうだと無理やり考えを押し付けることはできないし、最終的に決めるのは個々人であると思っている。でも、自分で選挙の争点や、候補者の考えや、政策やらをあれこれ考えた末に誰に一票を投じるか決めたのであればいいが、そうでなくて単に他人から入れてと頼まれたから入れるというのなら、どうにも納得がいかない。たった一票(正確には選挙区と比例区で二票だが)の自分の権利を、他人にゆだねてしまう。ほんとのところ誰に入れたかなんて、自分で言わなければバレるものではない。なのに自ら思考停止に陥り、他人のすすめに応じてしまうのはなぜなのか?一昨日からずっと、このことを考えている。
正直なところ、今回、外から眺めている分には野党統一候補のゆらさんが票を伸ばしそうにも思えて、少しばかり期待していたのだ。自民王国の和歌山に変化があることを。私は確かに今の自民党の考え方とか、代表者である安倍さんのやろうとしていることには反対だが、自民王国の和歌山に変化があってほしいと願うことの裏には決して、自民党まるごとすべて、あるいは自民党の支持者すべてを否定し、この国から排除したいなんて極端な思惑があるからではない。私はただただ、母のような思考停止状態にある人が少しでも自分の頭で考えるようになってほしいと考えているのだ。それが良い変化だと思う。しかもそれは自民党以外の政党の議員を和歌山から国会へ送り出すことになるような大きな変化にもつながると思う。これは緻密な裏付けがあるわけではなく、経験からくる憶測に過ぎないのだが、長年の和歌山の自民党支持の厚さが示すのは(仮にあるとして)自民党や党議員の政策のすばらしさやビジョンへの圧倒的な共感であるというよりも、みんな付き合いというものに縛られているだけなのである。和を乱したくない、排除されたくないというような、消極的な人間関係の築き方が根っこにある気がする。自分自身が意識的に気を付けようとしている弱点もそこにあるからか、課題としてより鮮明に浮かび上がってくる。(とは言っても、ほんとにみんながみんな、心底自民党支持だと言うなら私のいま考えていることはすべて無駄なのですが)
なんだかんだうるさいことを言ったところで、私は地元を離れてもう十年近くになるので、実情をはっきりと把握できているわけではなく、内部の雰囲気もよく分からない。それに、母親は「毎日の生活に精一杯で世の中のことを考える余裕がない」と言ったが、そんな精一杯な状況を娘としてなにか手助けして改善してやれるかと言えば、自信をもってイエスと言えない。これはある意味、私が家族というものを遠ざけて遠ざけて、精神的にも経済的にも支え合えるような関係性を築けてこられなかった結果でもあるのだ。家族関係のようなとても小さなコミュニティや、そこでのコミュニケーションがうまく機能していれば、社会全体から見た時の個としてのふるまい方や意識みたいなものも、いい方向に成長していくのではないかと、少し唐突すぎるかもしれないがそんなことを考えていた。個として成熟していない人たちが、まやかしの個人の自由を掲げてすすんで孤立化し、かたや未成熟であるが故の不安にさいなまれてより大きなものに依拠したがる。その成熟のためには、いろんな要素が必要で、環境を整える必要もあって、その一つが身近な人たちとの損得感情のない友愛関係の構築なのではないか。ざっくりして抽象的なことしか言えないのが歯がゆいけど、こういうことを真剣に考えるなら、一度ゆっくり地元に戻ってみるのもありかと、ふと思ったのだった。
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